第二の人生
― ラストチャンスです ―


第1章



4.本当の生き方
 ― もしかして、ラストチャンス? ―

 あなたが、これから本当の生き方をしてみようと思うならば、あなたに残された時間(あなたが肉体を持っている時間)はすべて、そのことに集中していこうと決意をしてください。
 まずは、あなたの決意、決断が大切です。
 自分の決意、決断なくして、本当の生き方などできないと思っていただいてもいいと思います。
 何か大変なことだなあと思われるかもしれませんが、そうです、大変なことなのです。
 言ってみれば、本当の生き方とは、今の人間社会の流れと逆流する流れを、自分の中で起こしていくことですから、それは大変です。
 しかし、この逆流する流れは、これからの時を経て、その真価を発揮してきます。主導権を握ります。
 色々なところから、私達人間が行き詰まってくるからです。
 私達が、鋭意努力してあらゆる手法を使っても、人間社会は、あらゆるところから崩れていき、二進《にっち》も三進《さっち》もいかない状況になっていくのです。
 
 実は、「本当の生き方をしてください」という自らへの促しは、もうすでにこれまでに、どなたにもあったはずです。
 人生の転機を、これまでにいくつか体験されてきたと思います。
 実は、その転機こそ、その促しだったのです。
 しかし、残念ながら、これまで殆どの人は、それらを、自らが発しているメッセージだという局面から、とらえることはできませんでした。
 
【 あなた、本当の人生を生きていますか。本当の人生とは何ですか。あなたは、
あなたを知っていますか。】
 
 私達は、人生の転機となる節目節目に、そういうメッセージを自らに託してきたのです。
 ただ、私達が、そういうふうに受け取ることができずにきただけです。
 それは、なぜでしょうか。
 
 これまで、形の世界を中心に物事を見て、判断してきた私達の心は、常に外に向いてきました。
 心が外に向くとは、どういうことか分かりますか。
 私達は、外部から情報を取り入れようとする傾向があり、その思いが強いのです。
 目や耳などの五官をそのために使い、また、それらを通して入ってくる情報を受け取るために、常に、心のアンテナは外に向けられている状態です。
 そのような状態だから、情報を取得すれば、次に、それに対して、自分はどのように対処していけばいいのか、対処していくべきかという方向に心が動き、思いを巡らしていきます。
 このように、心が外に向くとは、自分の周りの人達の言動や、自分の周りで起こる出来事と、その顛末《てんまつ》に終始していくことだと思ってください。
 例えば、人は何を言ったか、何をしたか、どんなことが起こったかという情報を受けて、自分はどう思い、何を感じたのか。そして、その結果、どんな行動を取ろうとするのか、取ろうとしたのか、という一連の流れがあったとします。
 大抵は、その中で、自分はどう思い、何を感じたのかという部分だけが抜け落ちるのです。
 あるいは、そこはあまり重視することなく、その前後の部分、つまり、人が言ったこと、したこと、起こった出来事、それに対して、どうなったか、どんな結果になったか、そういうことだけを、重視していきます。
 そして、首尾よく事態が自分の思うように終結すれば、めでたし、めでたし、で終わりです。
 逆に、自分の思うようにならなければ、あなたの心は、いつまでも、そこにこだわるというか、思いを引きずっていってしまうのです。
 
 このように、心が外に向いていると、どうしても、周りの人達の言動や、周りで起こる出来事にとらわれていきます。
 そこに終始して、肝心なことがお座なりになってしまいます。
 そうなんです。
 肝心なこと、つまり、その時、自分はいったい何を思い、何を感じ、何に気付いていったのか。そして、その気付きを、それからの自分にどのように活かしていこうとしているのか。そういった肝心なことについては、殆ど素通りしていきます。
 人生の転機を迎えるということは、そこで、何かを学び取っていくというか、今、何かに自分が気付いていかなければならないことがあるということでしょう。
 だから、転機と言うのではないでしょうか。
 しかし、心を外に向けたままであれば、転機が転機でなくなってしまいます。
 もちろん、その時に、全く何も学ばずに、何も気付かないというわけではないかもしれませんが、本当の人生を生きていますか云々の問いかけを、心に聞くまでには到底至らないでしょう。
 心が外に向いている状態では難しいです。
 
 それで、今、本当の生き方をしてみようと決意したならば、あなたがこれからするべきことは、外に向く習性にある心を、自分の中へ、中へ向けようと試みることです。
 心を中へ向けるということは、少し触れましたが、周りで起こる出来事や、人の言動に対して、それを見て聞いた時に、さて、今、自分の心の中に出てくる思いはどんな思いか、心に上がってくる思いを拾い上げ、自分の心の動きを追っていくことを言います。
 最初は、そういうふうにして、自分の心の向け先を、いつも確認することからしていってください。
 
【 今、自分の心は、どこを向いているだろうか。
 人の言ったこと、したことばかりに思いが向いているのではないだろうか。】

 
 そのような確認をする習慣を付けてください。
 そして、自分の心の動きを、さらに追っていけば、やはり、結果ばかりが気になって、その結果次第では、次を考えなくてはいけないと、心というものは、どんどん先へ行ってしまうことを感じるでしょう。
 ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、最悪の場合は……、ああそれは考えたくないと、まだ、何も始まらないうちから、心というものは、千々《ちぢ》に乱れていくのです。
 しかし、心が外に向いていれば、それが苦しいとか、なぜ苦しいのかとか、そういうことは、あまり気に止めません。
 あくまでも、関心事は、事態の顛末《てんまつ》です。
 よしんば、自分の心が苦しいことは感じられても、その苦しさは、どこから来るのかは分からないし、なぜ苦しいと感じるのかも分からないでしょう。
 強いて言うとすれば、今、目の前にある出来事などが発生元かなあというくらいのものです。
 心が外に向いていれば、苦しみもまた外からやってくるのだと思ってしまうからです。
 しかし、自分の中に思いを向けていれば、そういう出来事などが引き金となって、どんどんどんどん苦しみが、自分の中から湧いて出てくることを感じていくはずです。
 ただ、そうなっても、苦しみの原因は自分の中にあることが、心で納得できるまでには、時間がかかります。
 おいそれとは、認めることができません。
 それが人間の実態です。人間は、自分を正当化する生物《いきもの》です。
 こういうことも、また、あなたの心の片隅に留めておいてください。
 
 それはさておき、本当の生き方をしてみようと、自分で決断したならば、心の向け先を確認して、心を中に向ける習慣を付ける。ここまで、まずやってみてください。
 
 実践すれば、心を中に向けることは難しいと感じると思います。
 日々の生活の中では、思いは、心は、色々な方面に分散されていくのが普通です。
 気が付けば、そういう状態になっているのです。
 だから、次にしていくことは、毎日の時間の中で、短時間でもいいですから、どこか、自分が落ち着ける空間を探すことです。
 毎日の生活の流れの中で、そのような時間と空間を確保して、そして、それからやるべきことがあります。
 本格的に、自分の心を中に向けて、心の中を見ていくという作業です。
 その作業に必要なものは、ペンとノート、あるいは、パソコンができる人は、パソコンです。
 それを用意して何をするのでしょうか。
 あなたを生んでくれたお母さんの反省をしていくのです。
 
 あなたが生まれてから今日まで、お母さんがあなたにしてくれたことを、まず思い出していきます。
 お母さんは、色々なことをあなたにしてくれたはずです。
 生んでくれて、おっぱいを飲ませてくれて、おしめも替えてくれてというところから始まって、本当に些細《ささい》なことでも何でもいいのです。
 とにかく、お母さんがあなたにしてくれたことを、ノートなどに書いてみてください。
 それをしていく中で、あなたの心は、幼い頃に戻っていくでしょう。
 記憶が鮮明に蘇ってくる箇所もあれば、思い出したくもない部分もあるかもしれません。
 そうやって、お母さんがあなたにしてくれたことを思い出すと同時に、では、その時、あなたがお母さんに対して、どんな思いを出してきたか、どんな言葉を出し、お母さんに接してきたか、その都度のことを書き出してみてください。
 色々な思いが出てくるでしょう。
 最初から、ありがとう、お母さん、ありがとう、そんな思いは、まず出てきません。
 出てくるのは、やはり、文句です。不平、不満です。
 
 もっとこうしてほしかった。あの時、ああしてくれればよかったのに。私は、こんなことはしてほしくなかった……。
 
 お母さんは、あなたにとって、何でもしてくれて当たり前、何でも与えてくれて当たり前の存在だった。そうではないですか。
 当たり前だから、してくれないことに、無性に腹が立った。そんなこともあったはずです。
 
 反省のポイントは、あなたの思いを包み隠さずに出すということです。
 奇麗事ばかり綴っても、どうなるものでもありません。
 母親の反省というのは、あなたの中のどうしようもないドロドロの思いを、自分自身で確認していくことが狙いだからです。
 
 あなたは、お母さんをどのように見てきましたか。
 あなたは、お母さんを、真っ直ぐに見てこなかったのではありませんか。
 見下してきた人、美化してきた人、恐れてきた人、認めてほしかった人、逃げようとしてきた人、独占したかった人、その他、色々な見方をしてきたのではないでしょうか。
 母という存在は、あなたの色々な部分を引き出してくれます。
 母親という一人の人間に対して、自分が出してきた思いを振り返っていけば、甘えたくても甘えられない素直でない自分とか、依頼心の強い自分とか、色々な自分を知っていきます。
 
 お母さんがあなたにしてくれたことを思い出しながら、その時々に使ってきた思いを拾い出すことが一通り済めば、今度は、あなたがこれまでに、お母さんにしてあげたことを、これも、その時々の思いに触れながら拾い出してみてください。
 さて、この場合は、どうでしょうか。
 そんなに多くはないと思います。
 お母さんがあなたにしてくれたことに比べたら、あなたが、お母さんにしてあげたことなんて、本当に数の内にも入らないのではないでしょうか。
 
 とにかく、色々な角度から、お母さんに対する思いを見つめていってください。
 なぜ、母親の反省が、これほど重要なのか、そして、父親の反省は必要ないのか、ということがあるかもしれませんが、まずは、やってみてください。
 
 私達は、母親の胎内から生まれてきました。父親から生まれてきたのではありません。
 生まれてくる、つまり、母親の胎内を通ってくる間に、私達は、大切なことを伝えてもらうのです。
 しかし、母親の胎内から、この世に出てきて、時間が経過していくうちに、私達は、その大切なことを、すっかり忘れ去っていきます。
 そして、自分の肉体を通して知る世界の中に、喜びや幸せを見出そうとして、目に見えて耳に聞こえる形ある世界のほうに、どんどん、心を向けていきます。
 形ある自分にとって、形の世界は、非常に魅力的なのです。
 実は、そうやって、どんどん、自分を見失っていくのです。
 形ある自分と、自分の周囲にばかり、思いが向いていきます。
 心を外に向けて、母の意識から伝えられたことに、背いていくことばかりをやっていきます。
 心は外に向いた状態だから、それは、ごく自然な行動であり、それが、形の世界を本物として生きる生き方です。
 だから、あなた自身には、自分を見失っていくという感覚もなければ、自分が何かに背いてきたという思いなど、全く感じないはずです。
 むしろ、形の世界に喜びや幸せ、自分の存在意義を求めて、一生懸命に生きた結果として、自分の手の中に、たくさんのものをつかめば、それなりの満足感や達成感を実感していきます。
 しかし、そのような満足感や達成感は、長続きしないはずです。
 だから、夢よ、もう一度と、再び、何かに挑戦していくとか、新たな目標を設定するとか、やはり、あなたの心は、外へ、外へと向いていくのです。
 喜びだ、幸せだと沸き返っている自分の心とは裏腹に、母の意識に背いて生きてきた心の中は、苦しみで満杯だなんて、知る由もありません。
 いいえ、表面的には満たされても、心の奥底までは満たされないことを、あなた自身も、本当は、どこかで感じているはずなのです。
 
 このような心の仕組みを、もっと具体的に、はっきりと自分で分かっていくためには、母親の反省を通して、自分の使ってきた心、思いを繰り返し見ていくこと、つまり、心を自分の中に向けていくことしかないのです。
 
 どんなに情報化が進んだ世の中になろうとも、その中から、自分に本当の生き方を教えてくれる手立てを見つけることは、絶対にできません。
 世の中は、形を絶対なものとして、それをすべての基準にして、動いているからです。
 つまり、その基準は、形が整うとか、形が立派であれば、それが私達の喜びや幸せに連動していくとしています。
 確かに、形が整っていけば、心は喜びや幸せを感じます。心に感じているということを否定はしません。
 しかし、問題となるのは、その心の解釈です。
 大抵の人は、心は、目に見えないものだとしながら、それは、身体の一部というか、肉体に連動しているものと、とらえています。
 だから、その心が感じる喜びや幸せが、自分達の喜びや幸せに直結していくのです。
 しかし、本来、心というのは、そういう次元のものではありません。
 心は思いとして、意識として、そしてまた、エネルギーとして、単独で存在します。
 そんな人間の肉体というちっぽけな中に収まっているものではありません。
 心は肉体に付随するものではないのです。肉体に付随する心の世界は、ちっぽけな世界です。
 肉体に付随する心が感じる喜びや幸せ、あるいは、肉体に付随する心が感じる苦しみの世界は、ちっぽけな世界です。
 そんなちっぽけな世界の喜びや幸せ、苦しみを大きく取り上げて、「人間は」とか、「人生は」とかを論じ合うこと自体が、そもそもおかしいと、私は思っています。
 
 本来、私達は、そのようなちっぽけな心の世界の喜びや幸せを知るために、母親から肉体をいただいたのではありません。
 
【 私は心です。私は思いです。そして、私達人間の本質は意識です。】
 
 それを自分の中で知っていくために、生まれてきたのです。
 それを、私達は、母の胎内にいた時に、伝えてもらいました。
 
【 あなたのその肉体を通して、真実の世界を知っていきなさい。
 そして、今度こそ、本当の人生を歩んでください。】

 
 そのようなメッセージとともに、私達は、この世に出てきたのです。
 そして、今、あなたは、そのような生き方をしてきましたかと、自分に問いかけようしているところなのです。
 ようやく、そのような時を迎えていることを、どうぞ、知っていってください。
 だから、母親の反省なんてと思わずに、一度、真剣にその作業をしてみてください。
 心を中に向けて、母に使ってきた思いを確認しながら、そして、本当に生きていくとはどういうことだろうか、私は、何かを間違えてきたのだろうかと、自分に問いかけながら、やってみてください。
 もちろん、その作業は、根気が要ります。なかなか大変です。
 思い出すことといえば、同じことばかりだし、どんな心を使ってきたかといっても、それも同じことの繰り返しかもしれません。
 また、悲しいかな、あなたを生んでくれた母親というものは、たくさんの欠点を持ち、癖を持っています。
 その辺のところがネックとなって、なかなか前に進んでいかないかもしれません。
 しかし、そこで諦めたり、投げ出したりしないでください。そこでやめてしまえば、あなたの思う壺《つぼ》なのです。
 
 あなたの思う壺《つぼ》、これがどういうことか、分かりますか。
 
 あなたは、確かに、お母さんから伝えてもらったメッセージとともに生まれてきますが、実は、あなたの中には、それに徹底抗戦する思いが、すでに蓄積されていて、その思いとともに生まれてくるというのも事実なのです。
 本来、その思いは、修正されるべき思いです。
 しかし、現実は、修正されるどころか、大きく膨らませてきたのが、私達だったのです。
 これまでの私達は、その徹底抗戦する思いを中心にして生きてきました。形の世界を本物とする思いを中心にして生きてきたのです。
 つまり、母の意識が、「あなたの本当の姿は意識ですよ」と伝えてくれていたのに、私達は、それに、ずっと逆らってきたということです。
 そして、今現在も、その母の意識に逆らってきた思いが、あなたの中を仕切っている状態です。
 そこへ、今、あなたに、「間違っていませんか」という問いかけをしてみたのです。
 その問いかけに、本当のことを知っていこうとするあなたの中で眠っていた思いが、今、微《かす》かに反応しかけているのです。
 こんなことは、初めてです。
 あなたの中で、長年仕切ってきて、大きな胡坐《あぐら》をかいていた意識の世界も必死です。
 我一番、我こそ正しいとしてきた独裁国家の存続を脅かすかどうかは、これからのあなた次第だとしても、自らの存続を危うくする芽は、早い時期に摘み取っておかねばならないと、自分達の帝国を死守します。
 あの手、この手を使って、自分は何も間違っていないと主張してきます。
 
【 形の世界に喜びと幸せを求めて何が間違っている。これまでのお前でいいんだ。
 お前は、正しい。仕事に生きろ。家族の幸せがお前の幸せだ。世間を見てみろ。
 みんなそうだろう。】

 
 そうやって、あなたの中で、自分達の主張の正しさを強調していくのです。
 母親の反省が、なかなか進まないのは、このように、あなたの中に、過去よりずっと、あなた自身が作り上げてきた世界があるからなのです。
 私は、それを独裁国家だとか帝国だと比喩《ひゆ》しましたが、まさにそんな感じです。
 
 そこで、母親の反省を継続しながら、それと並行して進めていくのは、自分の中の独裁国家、帝国を確認していく作業です。
 
 あなたは、間違いなく、形を本物として生きてきました。
 いいえ、私達人間の歴史は、形を本物として生きてきた歴史なのです。
 さらに言えば、今現在は、確かに宗教とかそういう類《たぐい》の世界に縁遠いと感じている人達であっても、誰一人例外なく、過去において、私達人間は、他力信仰をしてきたのです。
 過去においてというのは、今世以前ということです。
 私は、過去、他力信仰によって人間自ら作ってきた世界を、ここで独裁国家、帝国と表現しましたが、その世界が、どんな世界なのかを知っていく作業が、必要となってきます。
 「母親の反省」と同時にしていかなければならないのが、この作業です。それは、「他力信仰の反省」です。
 
 実は、母の意識に背いてきたのは、自分達の心の中に、自らが作ってきた世界があったからです。
 それは、これまでに幾度となく登場してきました。
 形を本物とする思いを中心にして、その立場から、自分を見て、自分の周りを見て、そして、人間を、人生を語ろうとしていく世界です。
 私達が、これまでに本当の生き方をしてこなかった、いいえ、できなかったのは、自分達の心の中に、他力の世界という世界を作ってしまったからです。
 他力の世界というのは、一言で言うならば、欲の世界です。
 
 あなたは、自分の幸せ、家族の幸せ、世界人類の幸せ、世界の平和を願い、祈る思いというのは、どのような思いだと思っておられますか。
 普通に考えれば、そういうものを願い、みんなが幸せになっていくことを祈ることは、いいことであり、当たり前のことかもしれません。
 
 普通に考えればという、その普通とはどういうことなのか。
 何が自分達の幸せなのか。
 あなたが願いをかけ、祈りを捧げる時、あなたの心の中には、どんな思いが出ているのか。
 願いをかけ、祈りを捧げる対象物があるならば、それと自分との関係は、どのような関係なのか。
 みんなが幸せになっていくとは、どういうことなのか。
 どうすれば、みんなが幸せになっていくのだろうか。
 
 例えば、このような点を中心にして、自分がこれまでに手を合わせ、祈り続けてきた、願い続けてきた時を振り返り、そこで自分が使ってきた思いを確認していくことが、「他力信仰の反省、他力の反省」です。
 
 他力信仰をしてきた心の世界は、独裁国家、帝国と表現した通り、そびえ立つ牙城《がじょう》です。
 その牙城《がじょう》を取り崩すことは、母親の反省と同じくらいの難易度があります。
 しかし、この牙城《がじょう》を取り崩すことをしなければ、あなたが、本当の人生を生きて、本当の喜びと幸せを満喫することはできないのです。
 
 表面上の薄っぺらな喜びや幸せなど、あなたは、すでに感じておられるでしょう。
 しかし、それでは、せっかく生まれきたのに、もったいないと思います。
 もっと、深くて広くて優しくて温かな、本当の喜びと幸せ溢れる自分と出会っていってください。
 そうです。
 そのようなあなた自身と出会うというか、知っていくことが、本当の人生であり、本当の喜び、本当の幸せなんです。
 そのためには、自分達の本質を捨て去って、他力の世界を追い求めてきた間違いを、自らが正していくことをしなければならないのです。
 間違いを自らが正していくには、自分達の本質に迫っていく必要があります。
 自分達の本質に迫っていくには、その心の奥深くにある世界を解き明かす作業が必要なのです。
 コンピューターやロボットは、快適な生活空間は用意してくれますが、このお手伝いはできません。
 それは、自分自身が、自分の心を見るというところから、始まっていくのです。
 そして、自分の心を見るという作業の代表格が、「母親の反省」と「他力の反省」ということになります。
 
 あなたのこれまでの時間の中では、この二つの反省をやっていません。もっとも、「母親の反省」というのは、どこかの宗教団体や組織に入っておられたならば、その経験はあるかもしれませんが、ここで言う「母親の反省」と、それとは、全く違います。
 ましてや、「他力の反省」に至っては、全く未体験のはずです。
 しかし、この二つの反省は、必須事項です。
 あなたが、本当のことに目覚めゆくためには、この二つを抜きにしてはあり得ないことです。
 本当のことを知らずに、生きて死んでいく人生なんて、人生ではないと言えると思います。
 だから、私の思いとしては、みんなに、「母親の反省」と「他力の反省」をしてほしいのです。
 いいえ、今、この本を読んでくださっているあなただけでもいいのです。
 今、何かをしたいとか、何かをしなければならないとか、何をやっていいか迷っているならば、ぜひ、この二つの反省に、あなたのこれからの時間とエネルギーを費やしていってください。
 
 ここで、再確認します。
 「母親の反省」と「他力の反省」は、人生の中でやるべき大切な作業だと書きました。
 なかなか手ごわい作業ですけれど、焦らずに継続していってください。
 焦らずに継続していれば、いつの日にか、「母親の反省」を通して、私達は、母の温もりを、心で感じていきます。必ず、そうなります。
 いつかとか、そういうことを抜きにしてやっていけば、ふと気が付けば、随分優しくなっている自分自身を感じていかれると思います。
 母の思い、それは、あなたの中でしっかりと息づいている波動だからです。「母親の反省」を重ねていくうちに、その波動の世界にあなたの心、意識は触れていくのです。
 ここで思い出してください。
 私達の本質は意識です。だから、そういうことになっていくというのは、何の不思議もありません。
 どうぞ、母の温もりを、あなたの中に思い出し、本質を忘れ去ってきた自分の愚かさに、心から気付いていってください。
 
 まずは、「母親の反省」です。
 「母親の反省」にも増して難しい「他力の反省」を進めていくには、どうしても、「母親の反省」を通して知る母の温もりが必要なのです。
 「母親の反省」が進んでいけば、「他力の反省」も進んでいきます。
 「母親の反省」が、はかばかしくなければ、「他力の反省」も然りです。
 言ってみれば、「母親の反省」が前輪ならば、「他力の反省」は後輪です。
 両輪が回転して、初めて、車は前進します。さらに、スムーズに回転していけば、快適なドライブが楽しめます。
 
 私達の本当の喜びと幸せは、まず、自分達がいったいどのような存在であるのかを知ることから始まります。
 そして、それは、肉体という形を持っている自分を自分だとするところからは、決して、うかがい知れないことなのです。
 私達は、そのような肉体というちっぽけな枠の中に収まっている存在などではありません。
 この事実を心で知るために、あの人も、そして、この人も、これまでに転生、つまり、生まれて死んで、そして、また生まれて死んでということを、数え切れないほどしてきたのです。
 しかし、数え切れない転生を体験してきても、今までどなたも、自分の世界から、肉体という枠を外すことはできなかったのです。
 つまり、肉体を持つ自分から、自分を解き放つことはできませんでした。
 別の表現をすれば、この地球上に、人間という生き物が出現したその瞬間から、これまでの歴史の中で、人間は、自らに目覚めることはなかったということになります。
 人間は、肉体という形を持ったその時から、ずっと今に至るまで、その肉体を自分だとする立場から、延々と活動を続けてきたのです。
 その結果は、あなたもご承知の通りです。
 この地球上の至るところで、争いが起こっています。
 平和を願い、人類の幸せと繁栄を願っても、根本を忘れ去り、間違ってきたから、なかなかその火種は消せません。
 それは、神と金の戦いと言えるでしょう。
 なぜ、人間は、神と金で血みどろな戦いを繰り広げていくのでしょうか。
 それは、人間は、自分達の本当の姿を知らずに、貪欲に生きてきたからです。
 人間は、それぞれに、形ある自分を自分だと思って、その形ある自分達の栄耀栄華を求めていこうとします。
 神と金、その両方のパワーを得て君臨しようとする思いは、真っ黒なエネルギーとなって、自らに返ってくることにも気付かずにきたのが、他ならない私達人間だったのです。
 
 私は、そんな大それたことは思ったことがない。
 私は、私と私の家族が幸せで安泰であれば、それでいい。
 そんなささやかなことを願う私のいったい何が、どのように間違っているのか。
 そう思っているあなた、確かに、今は、ささやかな生活を楽しむ一庶民かもしれません。
 しかし、そのあなたの心の奥深くに眠る意識の世界を、あなた自身が知ってごらんなさい。凄いですよ。
 あなたは、自分を知っているようで、全く知らないから、そういうことが言えるのです。
 だから、あなたが、今、時間に余裕があって、蓄えもある程度あって、まだ身体も元気ならば、それは、願ってもないことなのです。
 そんなあなたにとって、第二の人生は、あなた自身を知っていくラストチャンスだと、私は、位置付けています。

 「母親の反省」と「他力の反省」に、ぜひ取り組んでいってください。