| 第二の人生 |
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| ― ラストチャンスです ― |
今や、日本の国においても、不登校とか、閉じこもりとかで、若くして、社会からドロップアウトしていく社会現象が起こっています。
若さの特権を自ら放棄して、自らに与えた時間を、空しく過ごしている若者もたくさんいるという、見過ごせない現実があることを考えれば、やりがいのある仕事や、大切な家族に恵まれてきた人達の人生は、それなりに幸せかもしれません。
そういう人達が、晩年に差し掛かり、ふと自分の来《こ》し方を振り返って思うことは、できることならば、人生の最後の時間を、健康に明るく、有意義に過ごしたいということでしょう。
そして、その中で生きがいを感じ、生きる喜びを味わい、生まれてきたことに感謝して、この人生を終えていけるならば、これほど幸せなことはないというところに、大体は落ち着くと思います。
そこで、長年、家族を養ってきたお父さんも、そして、家族の幸せのためにと頑張ってきたお母さんも、どうでしょうか。ある程度、今まで一生懸命にやってこられたことに、区切りを付けられる時期に来ているならば、ここは、さっと方向転換して、人生の最後の時間を、本当に自分のために生きてみませんか。
とはいうものの、もう年齢も五十、六十を過ぎ、やがて、七十も目前に迫り、体力、気力の点から言っても、そんなに自分の時間は長くないという時期です。
年齢を重ねていくことで、身体の機能が低下していくことは、やむを得ないことかもしれませんが、できるだけ健康に留意して、まだ、体力も気力も充実している時期に、自分の本当にやるべきことをして、自分の人生を閉じていきませんか。正真正銘《しょうしんしょうめい》、自分のための人生設計について、この辺りで、真剣に考えてみませんか。
もちろん、無事に定年を迎えられて、これからさらに、第二、第三と、仕事を求めていく人や、家庭人から新たに社会復帰を目指す人や、時間にゆとりができた今だからこそ、自分の好きな世界に没頭していきたいと思う人など、様々です。
これからの時間の中で、そういうことも、それぞれの選択肢のひとつに挙げられることだと思います。
しかし、です。
私は、そういう選択肢がない状態を前提にして、これからのあなたの時間について、ぜひ考えていただきたいと思っています。
そこで、あなたの時間ということについて、ここで、少し触れさせていただき、考えを新たにしていただきたいと思います。
どういうことかと言いますと、これは、第二の人生をこれから歩み出そうと張り切っている人達に限りませんが、おそらくみんな、自分の人生の時間は、生まれてから死ぬまでの、例えば、七十年、八十年……、その時間を自分の時間だと思っています。
だからこそ、限りある時間を楽しみながら有効に使いたいということでしょう。そして、限りある時間は自分のものだ、自分のやりたいことをしたいということだと思います。
それとは逆に、もしかしたら、自分の思い通りにいかない今を嘆き、もう私の人生は終わりだと、自暴自棄になっている人達もあるかと思います。
確かにそうです。あなたが生まれてから死ぬまでの時間は、あなたにとって大切です。
それは、あなたの時間であり、あなたの人生でしょう。その中で、浮き沈みがあることも確かでしょう。
しかし、あなたの時間は、本当に限りある時間なのでしょうか。
本当に、あなたの時間は、あなたが生まれてから死んでいくまでに限定されるのでしょうか。
ここで、少し、違う方向から語ります。
そもそも、私達は、自分達人間を、ひとつの形としてとらえてきました。もちろん、その形は一様ではありません。
現に、みんな、顔の特徴も、身体の特徴も、それぞれに違います。
だから、この人、あの人と見分けられるのです。
そんなことは当たり前のことだと、笑わないでください。
実は、このあまりにも当たり前過ぎることが、大変重要なポイントなのです。
そのポイントとは、私達は、一事が万事、ずっと、形のある世界を中心に物事を見つめ、形のある世界を中心にして物事を判断してきたということです。
人間のみならず、形があるから実在するという見方が、私達の中に深く根を下ろしています。
そして、その逆は、形がなければ、実在しないことになります。
そういった見方から、人間をとらえ、その生き様をとらえてきたのが、これまでの私達でした。
例えば、人の生涯、人の一生、男の人生、女の人生、我が人生、それらをテーマにして小説が描かれ、映画ができ、歌や、芝居の世界が古今東西から、数多く生み出されてきました。
言うまでもなく、そこで示されている内容は、生まれてから死ぬまでの限られた間に、人間は、いかに生き、何を成し遂《と》げたかを、主眼にしています。
限られた時間、限られた命の私達だからこそということを基調にして、様々なテーマで作品が作られました。
中には、人々の心に共感を与え、感動を与え、人々に生きる喜びを呼び起こしていく、不朽《ふきゅう》の名作も数多くあると思います。
今、一例を挙げましたが、この世の中は、一事が万事、そうでしょう。
あなたも、何が現実かと言えば、今、あなたの目や耳などの五官で確認できる世界、形がある空間こそが、実在する世界だと思っているはずです。
もっと簡単に言えば、今、自分が生きていると感じるのは、この身体があるからだと、あなたは思っているでしょう。
息をしている、心臓が動いている。
だから、私は、今生きている、私は、ここに存在していると思っています。
逆に、あなたの心臓が止まって、息もしなくなったら、あなたは死んだということになります。
そうなれば、あなたの身体は荼毘《だび》に付され、あなたの身体は、完全に消えてなくなります。
それと同時に、あなたという存在も、完全になくなってしまうということになります。
人間を形あるものとしてとらえているならば、そうでしょう。
形としてとらえている以上、形がなくなれば、何もない状態になってしまいます。
もちろん、あなたの時間もそこで止まってしまう。こういう理屈は成り立つと思います。
しかし、ここで、あることを、仮定するとしましょう。
私達人間は、形ではとらえることができない。つまり、私達人間の本当の姿は、目に見えないという仮定です。
そこで、頭や顔や手足があってというこの身体は、自分達の本当の姿ではない。今しばらくの間、その仮定のもとに、話を進めていきます。
本来、形では示すことができない私達が、今、ひとつの肉体を持っていると考えてみてください。
肉体というのは形ですから、千差万別です。
そして、形の違いはもちろんのこと、身長も体重も、性別も、年齢も、そして、皮膚の色も違います。
また、私達の中には、その肉体を使って、スムーズに動ける人も動けない人もいます。
つまり、見て聞いて、話をして考えて、食べて、笑って泣いてという諸々のことを、難なくこなせる人達がいれば、そうでない人達もいます。
形を中心にして物事を見ていけば、できる、できないは、大きな違いかもしれません。
しかし、その見方を変えていけば、つまり、この身体は、自分達の本当の姿ではないとしたならば、できる、できない、を問題視するのではなくて、むしろ、なぜ、できる人とできない人が存在するのか、ということのほうが注目すべき事柄になってきませんか。
このように、何を中心にして見ていくかで、注目すべきポイントは違ってきます。
何を中心にして見ていくか。これは非常に重要なことですが、ここでは、少し横に置いておきます。
とにかく、私達には、今、それぞれに肉体というものがありますが、それが自分達の本当の姿ではないということを仮定としていますので、その点にだけ着目していってください。
私達の肉体の中で、心臓の動きが止まれば、これは、誰の目から見ても、死です。
そして、死を迎えた時、つまり、心臓停止の状態になった時に、全く動かなくなって、そこに横たわっているだけの肉体イコールその人物だとしたら、確かに、その人のすべてが、その時点で、途切れてしまうでしょう。
一方、人間は、それぞれが、今、ひとつの肉体を持っているに過ぎないとする見方からすれば、その肉体の機能の全部が停止したところで、それは、身体的なことであって、もともと形がない自分達にとって、その時点で何が途切れてしまうのかと言えば、何も途切れるものはないということになりませんか。
肉体というものを通して知った、形の世界の中での諸々の出来事などは、確かにそこで途切れてしまいます。
肉体という形がなくなるのだから、それは当たり前のことです。
もちろん、それには、日々の生活の中に流れている時間という概念も含まれます。
ここまで、少し長くなりましたが、もうお分かりのように、限りある時間というのは、あくまで、形を中心にしたところから発想されるものです。
私達人間の本当の姿は目に見えないという仮定のもとでは、その発想は当てはまりません。
先ほど、何を中心にして物事を見ていくかが、非常に重要なポイントだと書きました。
そうなんです。
形を中心にして、自分や自分の周りを見ていく生き方と、そうでない生き方とでは、全く違ってきます。
そこで、まず、あなたが、これまで何を中心にして、日々の生活を過ごしてきたかということを考えてみてください。
自分を含めて世の中のすべてのことを、形を中心にして見て、聞いて、感じて、生きてきたという答が返ってくるはずです。
形を中心にした物の見方、考え方の中で、善悪や、幸せ、不幸せを判断する、それは、今までのあなたにとって、至極当たり前のことだったはずです。
世の中は、もちろん、そうです。
類《たぐい》まれな才能を発揮すれば、また、前人未踏の偉業が達成されたならば、世界中大騒ぎです。
ノーベル賞、勲章、金メダル、その他それらに類する色々な功績に、大変大きな価値が付けられます。
形のある世界が自分達の現実だとする思いからすれば、当然でしょう。
そういうものは、素晴らしいと称《たた》えられるでしょう。
それが世の中です。
そのような世の中に向けて、形があるとかないとか、自分達の本当の姿云々の話をしたところで、今すぐ、スムーズに受け入れていただくことは難しいのは承知しています。
しかし、それでも、私は、語らずにはいられないのです。
それは、私の心に、確かに響いてくる思いというか、メッセージがあるからです。
【 人間の本質は、意識。】
私は、この短いフレーズが伝えてくれる真実に出会うために、今があることを知りました。
今はまだ、その真実の声が、世の中の人達にスムーズに届かなくても、それは大規模な天変地異という形で、必ず、皆さんに届けられる時がやってきます。しかも、それは、もう目前に迫っていることを、私は、感じています。
【 肉体が消えたとしても、そこに残るものがある。肉体云々に関わらずに厳然とし
てある存在、それが自分自身に他ならない。】
このことが、それぞれの心で感じられるように、これから、ますます、混沌とした時代に、私達は突入していきます。
それこそ形の上からすれば、音を立てて崩れていく現実が、目の前に繰り広げられていきます。
私は、その足音を心に感じています。
それを未然に防ぐとか、被害を最小限に抑えるとか、そういうことは、もはやできないのです。
私が感じている天変地異の足音は、今、地球上で起こっている規模のものとは、到底比較できません。
天変地異イコール死、そんな規模の天変地異が、幾度となく起こってきます。
すでに、私達は、そのような流れの中にあることを、ご承知おきください。
おそらく、今のあなたが守りたいもの、守るべきものは、一瞬のうちに消え去り、崩れ去っていくでしょう。
そのような規模の天変地異を目前にした時、あなたの心に去来するものは、何でしょうか。
まだ、時間の猶予はあります。
だからこそ、これからの時間を、本当に大切にしていってほしいと思います。
【 あなたは、何のために生まれてきましたか。】
これです。このことを、しっかりと心に問いかけながら、これからの時間を過ごしていくことが、本当に大切なことです。
夫がどう、妻がどう、親が、子が、と言う前に、まず、自分です。一人ひとりが、自分を大切に生きていくことです。
それは、決して、自己中心的な生き方ではないのです。
あなたが、自分は何のために生まれきたのかが、自分の心で分かり、あなたの中に、自分の本質は意識だという目覚めが起これば、自分を大切に生きていくことの意味が分かります。
少し、話がそれましたが、もうお分かりのように、人間の本質は意識、というのは仮定の話ではなくて、決定的な事実だとして、ここから先を進めていきます。
結論です。
あなたの時間は、あなたの肉体を中心にして考えると限定されますが、あなたの本当の姿を中心にしてみれば、あなたの時間は限りがありません。
故に、あなたは、死んでも、あなたの時間は続いていきます。