「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」

2. 遠くに眺めている二上山(ふたがみやま)は、
何とも懐かしい山の姿でした。
あの山をそんな思いで眺めながら、
私は今世、何度、あの道を通い続けてきたことか



何度も、何度も歩きました。大神(おおみわ)神社から石上(いそのかみ)神宮まで。二上山を眺めながら。

卑弥呼、邪馬台国、飛鳥というほうに意識を向ければ、あの辺りが妙に懐かしい思いとともに思い出されます。私はあの道が好きでした。あの一帯にこの肉体を運ばせました。二上山を眺めながら歩く道が好きでした。

それは肉でこの学びと出会う以前の話です。

ああ、卑弥呼よ、卑弥呼。私の中の卑弥呼の思いを心に感じています。

卑弥呼よ、あなたも苦しかったでしょう。とても、とても苦しかったでしょう。寂しかったでしょう。あなたは孤独でした。どんなに権力を手にし、財力を手にし、すべてを支配下に置き、その名を轟(とどろ)かせても、あなたの心の中の闇は深遠でした。

どんなに神に選ばれた者だと自分の中から聞こえてきたとしても、それはとても、とても苦しみに違いありませんでした。

今、卑弥呼という意識に心を向けることにより、この日本の国、そして世界中の意識の変化がうかがえます。

卑弥呼の持つ力、卑弥呼の流してきたエネルギーを、それぞれの心の中で愛に目覚めさせていく喜びへと繋がっていけば、心の中の重りが軽く、軽くなっていくのではないでしょうか。

卑弥呼とは、それぞれが心につかんできたエネルギーです。

神より特別に選ばれたとする選民意識の象徴として、その意識を助長するものです。我は素晴らしい、我は一番なりという、本当に高い、高いそびえ立つ意識を、卑弥呼というエネルギーは助長していきました。

どの国においても、何時(いつ)の時代においても、卑弥呼に代わる存在を、人々の心は作り上げてきたと思います。

まず卑弥呼の心を、それぞれの心の中に確認し、その心、その意識の世界をマイナスからプラスへ変える、いわゆる反転の作業をして、愛へ目覚めさせていくこと、そのことをやってまいりましょう。

卑弥呼という存在は、ブラックです。その霊能力はブラックです。

マイナスのもとで求める霊能力はブラックです。すべては愛の中にあることを忘れ去ったからです。

己、己、己の中で、ただ我一番を競い合う中で生まれてくるエネルギーは、本当に大きなブラック、マイナスのエネルギーでしかありません。

その間違いを今世こそ、自分の中でストップしていきましょうということで、私達は、田池留吉のもとに集ってきたのではないでしょうか。

それぞれ、心が敏感な状態で、いわゆるチャネリングができるという肉の状態を整えて、田池留吉のもとで学ぶチャンスを自ら用意したのではないでしょうか。

同じ轍(てつ)を踏むなということを何度も聞いてきたはずです。

しかし、いかに、喜びと温もりへ自分の心を向けていくか、マイナスからプラスへ、本当に喜びの自分を見出していくか、ということの難しさも身にしみて感じているはずです。

その難しさを自分の中でしっかりと確認して、だからこそ、本当に今世こそ、自分の中に、大きな方向転換を促してまいりましょう。

今、卑弥呼に心を向けるこの機会は、大きな勉強の機会だと思います。卑弥呼に意識を向けて、卑弥呼の心を得意げに語るのではなく、その語る自分の中の卑弥呼の思いを、どれだけ自分の中で喜びと温もりで包んでいけるか、マイナスからプラスへ転じていけるか、そちらのほうに心を向けていってください。

得意げに語る思いを心に感じてくれば、その思いは反転です。

そういうことを学ぶために、今、卑弥呼に思いを向ける学びの機会が、それぞれに用意されているのだと思います。