「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」

3. 卑弥呼の心を思います。



神に一番近い者。神に一番愛された者。そのように私は皆から崇(あが)め奉(たてまつ)られた。そのように心の記憶として残っています。

心の中に神より選ばれし者、私はその思いを強く、強く秘めたまま、この身を捨てました。そして、私は自分の真っ暗な、真っ暗な中に真っ逆さまに落ちていきました。そこは何も、何もありませんでした。本当に何もなかった。何もないけれど、私の中の苦しみが私に覆いかぶさってきたんです。私は冷たく、冷たく凍(こご)えて、凍えて、小さく、小さく凝(こ)り固まりました。私の誇ってきたものは何だったのか。私の頼みの綱としてきたものは何だったのか。

私の母を思いなさい。お母さんを思ってごらんなさいと、そんな心に届く声があるけれど、私は母を思えずにいます。私は母を思えずにいます。私には母はいない。いいえ、いないと思いたかった。私の母はとてもとてもこの素晴らしい私からすれば、とても、とても、とても信じられないほどみすぼらしい母でした。私の母親はみすぼらしい母でした。どうして、あの母を自分の母だと言えるのでしょうか。母を思うことなど私にはできません。

卑弥呼の心の中は真っ黒な、真っ黒な中にありました。母を思えない卑弥呼が、ずっと、ずっと長い、長い時をかけて、存在しているんですね。宇宙に存在しているんですね。私はその卑弥呼の心の中に、この思いを届けます。

「私の中の喜び、温もり。あなたの中の喜び、温もり。一つなんです。心の中にあったんです。私達は一つなんです。お母さんはあなたにそのことを伝えてくれていたはずなんです。

あなたは、卑弥呼という一つのちっぽけな肉にとらわれて、そこから自分を解き放すことができませんでした。あなたはそれから以後、何度も、何度も肉体という形をいただく、つまり転生の機会を持っていったことでしょう。しかし、あなたの心は依然として真っ黒な中に固まったままでした。

私は、今、あなたにそのように伝えます。

卑弥呼という心を自分の中から解き放していくこと、それがあなたの喜びなんです。幸せなんです。それしかあなたは自分で自分を救う道はございません。」

苦しい中ですが、私は本当に間違ってきたことを語りたいと思いました。卑弥呼に心を向けなさいということです。そんな私の中を私は語らせていただける今があるんですか。私は卑弥呼という意識をたくさん、たくさん抱え持ってきました。

卑弥呼よ、あなたは神に選ばれし者だと自分を主張しております。それがあなたの心の中にしっかりとあることを感じます。

それでは、あなたが神より選ばれし者という、あなたにとっての神とは何なのでしょうか。あなたは何をもって神と言うのでしょうか。

神とは素晴らしい、大きな、大きなすべてを包み込む力を持った存在です。神は目に見えません。だから、私は神に選ばれたということを自分の中から聞いたとき、私は神になれる、私は神の化身だと思ってきました。私の中には神が存在する。神と一つになる。神を求める思いは、とても崇高(すうこう)なものでした。この力をもってすれば、すべてを支配できる。いいえ、支配というのではなく、私は喜びに導いていけることを、本当に信じていたんです。大きな力でもって、すべてをその傘下(さんか)に収めていくことが、この世の喜びに繋がっていくと思ってきました

だから、私はその大きな力を、パワーを、神と思ってきました。

それが何なのか。具体的に私の心の中には分かりません。しかし、神は存在することを、私の中にはしっかりと抱えています。神は存在する。神とは素晴らしい崇高な存在であった。汚されてはならない。

私は神の化身でした。私は崇高な存在。崇高な心の持ち主。崇高な私は素晴らしい、そのように自分を称えてきました。

神とは私でした。そう、私は神に成り代わって、すべてを支配下に治めるべき存在。私の存在はとても大きな存在でした。

そんな心を抱えて、私はすべての人に接してきました。心の中には苦しい思いが溢れているのに、私は、そのことに一切気付けずに、私は素晴らしいと心から上がってくる神の声を信じて、信じてきた愚か者です。

私はこの身を捨てて感じました。私が握ってきた神。私が信じてきた神。私の中の苦しみは何なのか。この苦しみは何なのか。ああ、語ることすらできない。この心は固まっていきました。

今、卑弥呼のほうに心を向けて、卑弥呼の心を語りました。卑弥呼という特定の意識に限らず、神を、自分の中の神を信じてきた意識に、ほぼ共通する思いだと思います。

そんな中で、私達は肉を持って、田池留吉、アルバート、この喜びと温もりの波動の世界に巡り合いました。このことは、とても、とても大きな、大きな出来事です。卑弥呼の心を感じるたびに、私は、田池留吉、アルバートと呼べる、心の針を向ける、向けられることがどれだけの幸せなことなのか感じずにはいられません。

だから、私は心の針を田池留吉、アルバート、愛の方向に向け、卑弥呼の思いを心に受け、その卑弥呼の思いにこの喜びと温もりを伝えていくことを喜びと感じます。

伝えていきたい、伝えていかなければならない、そんなことを感じます。伝えていくことが私の喜びなんです。卑弥呼の心に、少しでも喜びと温もり、安らぎ、本当の幸せを広げて、自分の本当のふるさとへ帰っていこうと呼びかけ、そういう思いを流してまいります。

長い、長い時をかけて心に培ってきたエネルギーを、今ようやく明るい光の中で、しっかりと見つめることかできる今です。本当にありがとうございます。