これまでに記してきましたように、「私達人間の本質は、肉ではなく、意識です」というのが本当のことです。
私達には、生まれてきて死んでいくという転生があります。そして、一度転生をしてくれば、それがひとつの過去世になります。
従って、数え切れないほど転生をしてきた私達人間には、それぞれ数え切れないほどの過去世があるのです。
その過去世達に共通するものは、自分の本質が意識であることを知らなかったことです。
今世の今という時間の中で、私達は、初めて、「肉ではなく、意識だよ」と、はっきりと知らされたのです。
もちろん、私は、今、そのことを、ただ情報として得ているのではなくて、自分の心ではっきりと感じています。
ずっと長く、肉、形を本物としてきた私の過去世達の思い、つまり、私自身の思いを、少し聞いてください。
「私は、自分自身を形あるものと思い込んできました。
そこから、ずっと、愛を探し続けてきたのです。
自分の心を満たしてほしいと、愛、優しさ、温もりを貪欲に求めてきました。だけど、求めても、求めても愛は分かりませんでした。
正確に言えば、自分を形あるものとしてとらえていたから、愛が分からなかったということが、分からなかったということです。
だから、愛は、最終的に、私を裏切っていったと思い続けてきたのです。そして、もうひとつ、私の誤りは、愛は無償だということが、信じられなかったことです。
いつも、見返りを求めていました。
形を本物とする心の中には、必ず、ギブアンドテイクのテイクの部分があると思います。
ギブが小さくて、ほとんどなくて、あるいは全然なくて、テイクばかりを期待する。期待するから、それに反すれば、たちまち「憎」の部分が出てくる。形の世界の中での愛は、みんなそのパターンだと言えるのでしょう。その一方で、時には、献身的に愛を捧げてきたこともあったことでしょう。我が身を捧げ、我が命を捧げ、忠誠を誓った愛の中に生きてきたこともありました。
しかし、その結果もまた散々なものでした。
いずれにせよ、みんな偽物の愛だったからです。」
「すべての人達に幸あれと、神に祈り続けてきた愛の実体を、あなたはご存じでしょうか。
私は、祈って、願って、幸せを求めることの愚かさ、空しさの中に、自分を沈め、神を呪い、神を恨んできた愚かな自分を知りました。
これだけ祈り続けてきたのに、これだけ忠誠を誓い、何もかも捧げてきたのに、私の求めるものは、何一つ与えられることはありませんでした。いいえ、何一つ与えられるどころか、私から奪い取っていく現実を目の当たりにしたことも、数多くあったことでしょう。それでも、なかなか目が覚めませんでした。
幸せがほしい、幸せになりたい、そのように願いを込めることが、なぜ、間違いなのか分かりませんでした。」
今も、なぜ、間違いなのか分からない人達はたくさんおられると思います。人は、一様にして、次のような思いを発しているのではないでしょうか。
「私達には、そんな大それた望みはありません。
ただ、家族の幸せや安泰を望んでいるだけなのに、そんなささやかな幸せを望むことが間違いなのでしょうか。
なぜ、それがいけないことなのでしょうか。
なぜ、それが欲なのでしょうか。」
あなたは、このような思いにどのように答えますか。誰しも幸せになりたいと思っていると思います。そんな大それたものではなく、ささやかな幸せを望む思いのどこが何が間違っているのかということだと思います。
あなたは、幸せがほしい、幸せになりたいと願いを込める先にあるものは何だと思いますか。
それは、本当の愛を知りたいと探し求めることについても、同じことが言えると思います。
幸せがほしい、幸せになりたいと願いを込めることも、愛を探し求めることも、実はそれ自体が間違いだったのです。
というのも、幸せがほしい、幸せになりたいと願いを込めること、そして、本当の愛が知りたいと愛を探し求めること、それらには、幸せを本当の愛を自分の外から受け取るという感覚がありませんか。
みんな、自分の外からやってくる、外にあるものを自分の中に入れようとする、そのような感覚がありませんか。
その思い方、考え方が違っている、間違っているということなのです。
また、過去世が語っているようです。
「そうです、私は、ずっと、幸せを愛を自分の外に求めてきました。
ひたすらに、一心に祈れば、思いは必ず成就する、思いはかなえられることを信じてきました。
そしてそれが高じれば、念というエネルギーに変わっていくことも体験してきたのです。
私にとって、幸せになることも愛を知っていくことも生やさしいものではありませんでした。
本当のことを知らない心には、幸せになりたいという思いも愛を求める思いも、自分の中で恐ろしい生き物のように感じてきたことは事実です。
念じて呪い殺すエネルギーは、自らもまた滅ぼしていくことを何度も体験してきました。」
様々な体験を経て、それでも、幸せになりたい、本当の愛が知りたいと、自らに肉体を持たせてきた現実があります。
それほどまでにして、幸せになりたい、愛が知りたいということはどういうことなのか、全く分かりませんでした。何度自滅しても、また、自分に肉体を持つことを請う思い、そのエネルギーはいったいどこから来るのか、長く、ずっと長く、心に留めてきた疑問でした。
肉ではない私達だった、私達には形がないということを心で知って、ようやく、幸せになりたい、愛が知りたいと叫び、貪欲に求めてきた訳が分かります。本当の自分との出会いを成し遂げたかったのです。長く心に留めてきた疑問が解け始めています。
間違った愛を求め続けてきたけれど、そして、それで何度も自滅してきたけれど、それがあったから、ああ、私は、本当の愛、つまり本当の自分を探していたことを知ったのです。私自身が愛だったことを知りました。幸せになりたいと願いを込めなくても、私達は最初から超幸せな存在だったんです。幸せという意味も愛という意味も全く取り違えてしまった愚かな自分に成り果てていったと今は納得です。
そして、その愚かな方向は、その気になりさえすれば、みんな、いつでも転換していけることを知りました。すべては自分次第だったと、学びに集えた私達は、たくさんの自分から教えてもらえる機会を得てきたのです。
どうでしょうか。こんな幸せな人生が用意されているのです。
どうぞ、自分の心を見るということを実践していきましょう。外に向きっぱなしだった心の針を自分の中に向けて、今世こそ、本当の喜び、本当の幸せ、そして本当の愛を心で分かっていく時間としましょう。