ありがとう―意識の世界への架け橋― 目次 初版「ありがとう」から十年の歳月を経て 「ありがとう」出版に寄せて はじめに 父の病気と他力への道 私の結婚 夫の病気と死 セミナーに集えました 父の病気と真実への道 田池留吉氏との出会いがすべてでした ホームページについて Fさんの反省 おわりに 初版「ありがとう」から十年の歳月を経て このたび、絶版となっていた「ありがとう」が、十年の時を経て再び息を吹き返す運びとなりました。私は、初版(二〇〇六年)当時、そしてそこからもう少し遡って二〇〇〇年辺りを、懐かしく思い起こすいい機会をいただき喜んでいます。 復刻版「ありがとう」発刊に際し、初版本を久々に手に取り読みました。 『私は、今、「私の人生は幸せです」と胸を張って言えます。自分自身に言えるのです。だから私は幸せだと思います。誰がいるからとか、何があるからではなくて、私は自分の存在そのものが嬉しいと、今本当に心から思っています。』という箇所があります。 この思いを、私は今日まで大切に自分の中で育んできました。二〇年余り前に、自分の心を見るという学びを始めた私が、最初に田池留吉という方に言われたことは、「あなたは、喜びが少ないですね」ということでした。そうでした。それまでの私は何でも当たり前として生きてきました。あって当たり前、してくれて当たり前だった私に、初対面の方にズバリ言われたその言葉は本当に衝撃的でした。 今思えば、田池留吉氏は真っ直ぐに「あなた、間違っていますよ」と限りない優しさと温もりで伝えてくれていたのでした。 その田池留吉氏との出会いからすでに、二〇年余りの歳月が流れました。学びは人生だと言われ、セミナーに心血を注いでくれた田池留吉氏も、去年二〇一五年(平成二七年) 十二月に九十歳でその生涯を閉じられました。私は、一九九三年(平成五年)四月から宿泊を伴うセミナーに参加させていただき、波動の世界の真実を学ばせていただいてきましたが、まさにこれからが正念場だと思っています。「人間は肉ではなく、意識であって永遠に存在するものである」と伝えてくれて、セミナーにすべてを注いでくれた田池留吉氏の思いを熱く受け取っていこう、いかなければと心新たにしています。 田池留吉氏とともに学ばせていただいた真実の波動の世界です。その波動の世界を、田池留吉という肉がない状態でともに学ばせていただく喜びを私は今、心に感じています。肉こそそこにはありませんが、意識、波動、エネルギーとして確かに存在すると感じています。 久々に手に取り読み返した「ありがとう」は、私にとって学びの原点だと改めて思いました。愚かな肉まみれの私に、私の中の本当の私が、私の存在に気付きなさいとずっと待ち続けてくれていたんです。 心を見ること、心を中に向けることを知らなかった私だったから、私の中の本当の私は、田池留吉という肉を通して、肉を自分だと思っている愚かな私に伝えてくれていたんだということでした。「田池留吉氏の指し示す方向に、きちんとあなたの心を向けていきなさい」というメッセージを感じてきた二〇年余りの歳月を経て、今がどんなにすごい時なのかということ、今が本当に真実の世界と巡り合う千載一遇のチャンスなのだということが、心にしっかりと響いてきます。「この道を真っ直ぐに歩いてきなさい」と田池留吉の意識の世界から伝わってくる波動を心にしっかりと受け止め、着実な歩みを進めていくだけです。 先に申しました通り、二〇〇六年に書き上げた「ありがとう」は、私にとって学びの原点です。「ありがとう」復刻版発刊を機に、さらなる一歩をと思っています。 それでは、十年前に時を戻してまいります。 「ありがとう」出版に寄せて この本を手にされて如何でしょうか。こうしてあなたと出会えて嬉しいです。 私は、「意識の流れ―アルバートとともに―」の著者の田池留吉です。 「ありがとう」が「意識の流れ」の姉妹編として出版されたことを心から喜んでいます。 私は、約二十年間、セミナーや著作を通して、「人間は肉ではなく、意識であって永遠に存在するものである」と、伝えてきました。「ありがとう」の著者、塩川香世さんは、正にその証人です。 私は、特に、次のようなことについて、その回答を求めている方に、是非一度読んでいただきたいと思います。    なぜ、生まれてきたのか。  自分は、いったい何者か。  死は恐怖か。死んだらどうなるのか。  なぜ、苦しみ悩むのか。  母親とは、自分にとってどんな存在か。  なぜ、人類は戦争を繰り返すのか。   塩川香世さんは決して特別な人ではありません。今という時間の中で、真実の波動の世界と出会い、そして自分の世界が、肉から意識へのコペルニクス的転回の途上にあることを確信し、さらに一歩と、意識の世界の真実へと着実な歩みを続けている方だと思います。 私は、この方は喜びの波動を発信し続ける仲間だと思っています。本書からもその波動が伝わってくると思います。是非、一読してください。そして、心を見るという作業を積み重ねていくことを始めてください。心を見ていけばどのようなことが分かってくるのか、またどのようにして心を見ていけばいいのか、本書の中で分かりやすく著述されています。 真実は、心でしか分かりません。頭では絶対に分かりません。 真実は、老若男女を問わず誰にでも分かるはずのものです。 真実を知らず、欲にまみれ、自分がそびえ立っていることさえ気付かずに、自分は素晴らしい、自分は正しい、自分は間違っていないとやっている人が、ごまんといるのが現状ではないでしょうか。 今がターニングポイントです。永遠の今を大切にしてください。そして、本当の自分自身と出会ってください。自分自身の本当の姿を知ってください。著者のように、「私の人生は幸せです」と胸を張って自分自身に言えるようになってください。 どうぞ、「生まれてきてよかった、お母さんありがとう」「人生は喜びでした」「何よりも自分自身に出会えて嬉しい」「死も喜びでした」「ありがとう、本当にありがとうございました」と、自分の人生を全うしてください。 二〇〇六年八月 田池留吉 はじめに この世に誕生すれば、今の時代においては、人はそれぞれ学校教育を受け社会へ巣立ち、同時に家庭人として家族を形成して人生を繰り広げていきます。そしてやがて死を迎えます。その過程で、それぞれ様々な出来事に出会い、色々な人との出会いがあります。そういう出来事や人あるいは自分の生業を通して、それぞれの人生は多種多様に色づけされていきます。中には、志半ばで中断を余儀なくされる場合もあるでしょうし、やむなく方向転換をしなければならない場合もあるでしょう。自分の思い通りには、なかなか進んでいかないのが人生だと言ってもいいかもしれません。 さて、前置きはここまでにしておきます。 私は今、「私の人生は幸せです」と胸を張って言えます。自分自身に言えるのです。だから私は幸せだと思います。誰がいるからとか、何があるからではなくて、私は自分の存在そのものが嬉しいと、今本当に心から思っています。そのような私に変わらせていただいたことが喜びですと、しみじみ思います。そういう中で、私はこのような自叙伝的なものを記してみようと、自然に思うようになりました。私には今ひとつの肉体を持って存在させてもらっている自分に対して、本当にありがとうと心から伝えたい思いがあります。その思いから、生まれてから四十八年という時間を振り返りながら、自分自身をもう一度振り返ってみようと思います。そしてこれからの時間もまた、ありがとうの思いで通過していこう、その一区切りにしようという思いで、私は今現在います。誰に読んでほしいとか、共鳴してほしいとかではなく、私は自分のために自分自身の思いを綴っていきます。愚かな私自身をしっかりと受け止めて、赤裸々に書き綴っていこうと思っています。 私は、一九五九年三月九日に生まれました。猪突猛進の亥年生まれです。二〇〇六年で数え年四十八歳になります。まだこれから先、私がこの肉体を持っている時間は残されていると思いますが、私の人生の最大のポイントは、田池留吉という方との出会いだったということは、もう間違いありません。この方との出会いにより、私は、意識の世界における大いなる成長を自分の中で確認してまいりました。それはどういうことなのかということは、これから徐々に触れていきますが、私自身の最大のターニングポイント、いわゆる最大の転機がこの方との出会いでした。それはまさに私にとって、暗から明への切り替え時期でした。それが今世だったのです。 ところで、私は今、「今世」という言葉を使いましたが、私は、今現在の肉体を持っている私だけが私であるとは思っていません。私は、過去から未来へ続く時間の中でずっと存在しているもの、それが私自身であると感じています。従って、「今世」という今のこの時間は、私にとってひとつの通過点にすぎないのです。そういうところから、私はこの世を眺め、周りを眺めながら、毎日を過ごしています。 また、この「今世」という言葉と同様に、私は文中で「肉」という言葉も多く使っています。「肉」という言葉に違和感を覚える人もおられるだろうと思いますので、最初に少し説明を加えさせてください。 「肉体」とか「身体」と表現すれば、スムーズに受け入れてもらえると分かっていますが、あえて、「肉」という表現にさせていただいています。そこで、「肉」というのは、「肉体」とか「身体」というものを含む、形ある世界と考えてください。そして、その形ある世界が本物だとする思いを肉の思いと言っています。肉を土台にした思いです。単に、人間の肉体的なことだけではなく、形の世界すなわち今現実、目の前に広がっている形のある世界を本物と感じて、その思いを土台にして自分の心に上がってくる思いすべてを「肉」と言います。 以下、「肉」「肉の喜びと幸せ」「肉の自分」「肉の力」「肉の頭」「肉の心」「肉の母」等々、数多く出てきます。みんな、形ある肉体が自分だと思っている思いがベースにあります。 「肉」ということについて、少し説明をさせていただきましたが、どうやら、肉とか肉の思いとかということが、ポイントになってくるんだなあと、勘のよい人はお察しいただいているかもしれません。そうなんです。その通りなんです。真実とは全く逆方向に存在しているのが私達人間であり、人はみんな間違って生きてきたと私は思っています。しかし、なぜそう思うのか、そして間違っているとするならば、どう間違っているのか、何を間違ってきたのかについては、この本を読まれた方の判断にお任せしたいと思います。ここでは、本当の自分を知らずに生きてきた私自身の体験を振り返ることによって、愚かな自分を客観的に見つめ、自分の心で感じてきたことを、できるだけ忠実に表現していきます。 そこで、私自身の体験を、父の病気から父との死別に至る部分と、自分自身の結婚そして夫との死別に至る部分の二点に絞ります。それは、この二点により、私は自分の中に本当の自分自身が存在していることと、その意味とその大切さ、そしてこれから存在していく喜びに辿り着いたと言えると思うからです。もちろん、それらの現象は、みんな私自身が設定、予定してきた事柄でした。そしてこのことにより、私は本当の私を取り戻すことができたと言えると思っています。自分を振り返るチャンスであって、そしてまた確認していくことができた事柄がこの二点でした。 まさに、この二点は私には必要不可欠なポイントであり、それを自覚できたからこそ、今こうして喜び幸せの自分自身と出会わせてもらっていると思っています。父の病気と私自身の結婚そして夫との死別、これらの出来事を経て、私は田池留吉氏との出会いがあり、自分の中に意識の目覚めを起こしました。つまり、自分が自分と思っている自分とは、いったい何なのか、そしてその自分と思っている自分が自分でないとするならば、本当の自分とはどのようなものなのか、そういったことに思いを向けていこうとしたのです。そして、父との死別により、さらに私はその方向へ確実に向いていきました。すなわち、二点のポイントは、今世の最大のターニングポイントを迎える準備段階ということでした。 私自身もほんの数年前までは、皆さんと同じ基盤、すなわちこの世の常識、慣習等の中で物事を見て、自分の中で判断し、これは正しい、これは間違っている、何でこうなのだと批判しながら、自分というものを掲げてきました。しかし、そういったものから、自分の心を解き放していった時に、見えてきたものがあったのです。今までとらえてきたものとは、全く違う風景に心が触れた時に、ああ自分は本当に間違ってきました、真実から遠くかけ離れてしまった自分自身でしたと思うことができました。そして、ようやく自分自身を本当の人生のスタートラインに立たせたことを実感している、今現在です。 二〇〇六年八月 塩川香世 父の病気と他力への道 私は、物の豊富な時代に生まれました。両親にも恵まれ、三歳年下の弟が一人います。四千グラムを超えて大きく生まれましたが、身体は弱かったと聞いています。母のお腹にいた頃は、つわりがひどかったとも聞いています。そして、ようやく母が私を産み落としても、祖母が「まだ生きているか」と心配するくらいに身体は弱かったし、癇は強かったらしいです。とにかく手のかかる子供であったことに違いありませんでした。そういうこともありますが、何しろ私は最初に授かった子供なので、両親はもちろん周りの方々にも大変可愛がられて育てられました。それは、幼い頃の写真からも窺えます。子供可愛さで、両親はできる範囲のことはみんなしてくれていたようです。 私は身体が弱くて、小学校四年生の時に扁桃腺の手術をするまで、しょっちゅう熱を出していました。それが、母を他力信仰へと走らせた原因のひとつになるかもしれません。もちろん、このことだけではありません。私達一家には大きな悩み、苦しみがありました。それが、まず一つ目のポイントである父の病気でした。 私の記憶には、父が昼間から布団をかぶって寝ていたあの当時のことがあります。それは私が小学校の入学前に、真新しい学習机を前にワクワクしていた頃です。父は高等学校の教諭をしておりましたから、たぶん春休みだったのでしょう。私は、新しい机とランドセルや、色とりどりの文房具にご機嫌だったのに、寝ていた父から「うるさい」と一喝され、驚いたのを幼心に憶えています。私はその時、初めて父から怒鳴られました。たぶん、私のガサガサさせる音が、寝ていた父の耳にビンビン響いたのだと思います。私は、それから、父の態度が周期的におかしくなるのに気が付きました。布団をかぶって部屋を真っ暗にして、何日も何日も部屋に閉じこもってしまうのです。私の脳裏には、部屋を真っ暗にして昼夜を問わず寝込んでいる父の姿が、何度も浮かび上がってきます。 日本赤十字病院の精神科へ通い、診断の結果、出された病名は鬱病でした。どうやら、この病は結婚前からその兆候があったようです。私は母を恨みました。そして自分の家庭を呪いました。母さえ、もっと注意していれば、こんな父と結婚しなかったはずだ、そうすれば私は生まれてこなかった、私はもっと明るくて楽しい家庭に育てられてきたはずだ、この思いを私は幼くして、ずっと抱き続けてきたのです。 鬱病または躁鬱病に代表される精神病というのは、今では、ストレス社会が生み出した病気あるいは弊害であると世間では理解も深まっていますし、それなりに配慮されるようになってきましたが、当時はまだ、精神病というものに対して社会は閉鎖的であったし、当事者達も隠しておきたい病気だったと思います。私も忌まわしい病であると思ってきましたし、友達などには絶対知られたくはありませんでした。 また、どのような病気でもそうですが、いっしょに暮らしている家族でなければ、その苦しみとか悲しみ辛さ、不安恐怖等々は実際のところ、分からないと思います。いえ、家族にすら、それを本当に受け止めることは難しいです。特に精神的な病の場合はそうだと思います。それは、なぜそのような状態になるのか、何が原因なのか、そういうことが全く理解できないからです。原因が分からないから、どのように対処していけばいいのか、それも分からない状態なのです。私の家族もそうでした。本人はもちろん、家族全員が、それぞれに苦しみ辛さだけを主張し合うだけでした。病気だから、家庭の雰囲気は当然暗いです。そこへさらに、互いに互いを責め、嘆き、愚痴り、恨んでいく、そうした暗い真っ暗な思いだけが、家族の中で流れていくという日々だったと思います。 そもそも、病気というひとつの現象は、それぞれがそれぞれに培ってきた心の世界を見るものだと、その時、誰が教えてくれるでしょうか。誰も分からないし、誰も知らないし、ただ目の前の苦しみを何とかしよう、したい、してくれ、このような思いで明け暮れる毎日だと思います。病人を抱えている家庭では、この病気さえなければ、もっと幸せに楽しく明るく暮らすことができるのにという思いから、挙句の果てには、「お前さえいなければ」「お前がいるから私達は不幸なのだ」「何で私達はこんな苦しい目に遭わなければならないのか」「私達が一体何をしたのか、世間は不公平だ」と散々そんな思いばかりを出し合うのではないでしょうか。私達親子も例外ではありませんでした。そしてみんな行き着く先は、助けてくれるものを、何とかしてくれるものを、つまり助けを救いを外に求めていきます。「迷える先祖の霊を供養しなさい」「因縁を解消しなさい」と言われれば、お金をつぎ込みます。いいと言われることはわらをも縋る思いで何でもしていくことでしょう。そういうエネルギーをどんどん膨らませていくのが、人の常だと思います。いわゆる他力信仰の名のもとにみんなが群がっていくのです。 分かります。人はみんな何の疑問も抱かずに、無意識のうちに、自分と自分の家族の安泰、幸せを願っています。家内安全、無病息災、そうであれば、幸せな人生が送れると思い込んでいます。また、先祖を大事にし、我が子孫を残し、家、財産、家名を引き継いでいくことは当然のことであり、勤勉に働き、そして社会に奉仕していくことは立派なことだと思っています。そして何より、つつがなく過ごせることが幸せだと、社会の流れの中でみんなそれに沿った生活をしているのではないでしょうか。また、そのための選択肢が、世の中にはたくさんあるように思われます。 中でも、その人が秀でた能力、頭脳等、その他社会が認めてくれる才能を持っていたなら、その人生ほど素晴らしいものはないとなってくるでしょう。実際、権力、資力、人力も自由自在、世界は私中心に動いている、そう思われている方々も、この世にはたくさんおられると思います。 しかし、そうではなく、すなわち逆にマイナスの部分が現れてきたならどうでしょうか。病気であるとか貧乏であるとか、たとえばこの世的に見ればマイナス部分ばかりが大きくなっている人生は、本当に真っ暗な暗闇の人生でしかないのでしょうか。そしてそれとは逆に、華々しく輝いているような時間を過ごしている人達は、本当に幸せと喜びの中にあるのでしょうか。価値基準がこの世であれば、そうでしょう。お金がないよりあるほうがいいし、病気よりも健康なほうがいいに決まっています。権力や知力等々も同じだと思います。そしてだからこそ、それらを得るために、自分の人生をその基準に合わせて、馬車馬のように走り抜けようとするのです。そして、自分の思うようになれば、大成功の人生ということになるでしょう。サクセスストーリーがもてはやされ、シンデレラドリームに酔っていくということだと思います。途中、何度か何らかのきっかけがあって、ストップがかかるけれども、それを跳ね返す欲のパワーで、さらに先へ上へと上り詰めようとします。しかし、誰もそれを欲とは思っていません。むしろそのエネルギーは賞賛されるべきものなのでしょう。頂点を目指して燃焼する人生は素晴らしい人生であり、それが人生なのだ、だから頑張れ頑張れとエネルギーを自らに注入していきます。名を残し、財を築き、子孫を増やして一大帝国を築けば、それが立派な人生だと世間は認めます。歴史に名を残す人は、偉い人、立派な人となっています。 しかし、ここで考えてください。生まれてきた人間は必ず死を迎えます。肉体生命の終わりを迎えます。それでは、私達はそこで本当に終わりなのでしょうか。 死は肉体が消滅する時ですから、肉体が基盤というところにあれば、その人の人生はそこで終わりということになります。では、本当に肉体が朽ち果ててしまえば、その人は消えてなくなるのでしょうか。もし、そうでないとするならば、その人はそこからどうするのでしょうか。肉体を脱ぎ捨てて、墓の下で永遠の眠りに就いているのでしょうか。 人生がそこで終わりで、その人もそこで終了するならば、限られた人生の時間の中、この世限りと頑張るのも、また、おもしろおかしく生きていくのも分かりますが、私はそうでないということを感じています。人生というものを、そして自分というものを、もっと長い時間の中で見つめていかれたらどうかと思っています。 話をもとに戻します。 私の父は、そうです、ずっと私が物心ついた頃より、鬱の状態でした。この病は、これほど人間の面相が変わるのかと思うほど、鬱の時と正常な時とでは雲泥の差でした。父の調子のいい時と悪い時は、本当に天国と地獄の違いでした。病気が父をこんなに変えるのかと、何度もその病気を呪いました。本当に二重人格そのものでした。 父の顔色を窺いながら、父の精神状態を気にしながら、私はおもに十代を過ごしてきました。と言っても、年がら年中、具合が悪いということではなく、正常な時は、これほどいい父はいませんでした。鬱病がなければ何の不足もない父でした。普段は本当に真面目で物事に筋目を通すような、そんな父親像を私は感じていました。悪くなっても、また日にちが経てばいい状態になるだろう、普通の父に戻ってくれるだろうと思えたから、母も弟も私も頑張れたし、辛抱ができたのではないかと思います。 具合が悪くなれば、父は、「死にたい」「人と顔を合わすのは嫌」「手にも足にも鉛がぶら下がっているように身体は重い」「気分はエレベーターで急降下するようにドーンと下がっていく」ということを、よく口にしていました。そのような言葉を聞いて、私達は心を落としていったと思います。 私は父の言葉と態度に、恐怖の思いを大きく広げていきました。特に、「死にたい」と言う父が、いつ電車に飛び込むか、いつ包丁で父自身を突き刺すかと思ってきました。そしてまた、時にイライラが募って自分の周りにある物、たとえば座布団だとか本だとかを部屋の中で投げつけたり、畳や壁やテーブルを叩いたりする、その音も恐怖でした。その時の父の険しい目つき、荒々しい態度は、私の恐怖心を煽りました。ただ、父は自分がどんなに苦しくて辛くても、私達家族には危害を及ぼすことはしなかったし、ましてや他人に迷惑をかけることはなかったのが、救いと言えば救いだったでしょう。 しかし、そのような父の様々な状態に、私は心を落として、そして脅えて、片方でそんな親が自分の親だという情けなさと腹立たしさ、やるせない思いでいっぱいでした。この父さえいなければと、何度思ったか知れません。私は、何度も何度も父を自分の中で殺してきました。恨みと憎しみでいっぱいでした。いつも不安と恐怖でした。また、そんな父を見たくない思いでいっぱいでした。特に気分が悪くなって、険しい顔をしている父の目を、まともに見ることができませんでした。そして、今日はお父さんは普通かな、大丈夫かなといつも父の顔色を窺っていました。 父が病気になって寝込むと、家の中は真っ暗になります。そこへ母です。母はその繰言を私にぶつけてきました。自分の思いをぶつける相手は、私しかいなかったという状況の中でしたし、またその母の苦しい心情は、子供ながらも理解できる部分がありましたが、ではどうするのかという具体的な方策は何もなく、いつも同じことをぼやき、嘆き、その繰り返しに、私は母をずっと見下げ続けてきたのです。それでも母なりに、精一杯父をフォローしてきたことは事実です。当時、母が生活のすべて、父はもちろん、私と弟を捨てて、家を飛び出たとしても仕方がなかったでしょう。苦しい、何でと嘆きながらも、母は父の面倒を見て、子供の面倒を見て、そして親から継いだ商売の中心的存在として、日々を送ってきたのです。母が、今世、他力信仰の梯子をしても、それはあの状況では致し方なかったと思います。 今のこの苦しい状況から、私達親子を救ってください、何でこのような病に見舞われるのか、その原因を知りたい、それが他力信仰に集った動機でしょう。幸せになりたい、人としてそう思うのは当然です。母が幼い頃からやり続けてきた念仏もそうでした。南無阿弥陀仏と仏壇の前で手を合わせ、母は、実母姉妹ともども南無阿弥陀仏を唱え、救いたまえ、導きたまえと、幼い頃より散々祈ってきたのです。もちろん、結婚して、父の病気に悩み苦しみの日々だったので、念仏にも入れあげました。そしてそれでも物足りず、今度は仏壇の前で、般若心経を上げ続ける母の姿は、未だに忘れられません。その他、これがいいと聞かされたら、何でもやってみる母でした。それほど苦しかったのでしょう。何とか今のこの状態から抜け出たい、その一念だったと思います。母は一生懸命でした。某宗教団体に属していた時期もありました。まだ夜が明け切らない時間から起き出して、電車に乗り集会所に参加していたようです。そこで伝えられている趣旨はと言えば、早起きをして、規律正しい生活の中で、家族を盛り立てていけば、それが家族の幸せに繋がっていくということでしたから、やはり肉の喜びと幸せを希う思いだけが、根底にあったはずです。すべからく他力信仰とはそういうものです。肉を本物とする思いが、他力信仰の道へどんどんと走らせていくのです。 父の病気を治したいという思いから、母は他力信仰を重ねてきました。そのような中で、ある時、母が、また違う宗教団体の話を聞いてきました。その時は、私も母といっしょにその教団の集会所に出向きました。そこでは、不思議な現象を実際にやっていたのです。身体の具合が悪い人の部位から、その原因となるものを取っている仕草が、私の目には真に迫っているように映りました。すごいなあと感じました。そして、その教祖の話し振りもまた私を惹きつけるのに充分でした。威風堂々と力説しておられました。その時、私はこの人は、自分の中で本当に確信するものがあるから、このようにはっきりと明確に力強く講演できるのだと思ったのです。そして、話の内容よりも、その姿、そしてあの不思議な実演に私は惹かれていったのです。だから、私も父の病気を治してほしい、苦しみの原因を取り除けるものなら取り除きたい、そんな思いで、それからも何度か、その集会所に足を運びました。箱根の泊りがけのセミナーにも参加しました。しかし、遠い箱根まで行ったにも関わらず、そのセミナーはただただ眠たかっただけで、行ってよかったとはならず、セミナーはそれが最初で最後でした。 とにかく、最初、私は父の病気が治ればという動機で集ったのですが、その途中から、私はその教祖のパワーに惹かれていったのです。私の中にもあのような不思議なパワーが秘められているのではないか、いやそうに違いない、私の中のパワーを引き出すきっかけになる何かをつかみたい、私の思いはやがてこんな思いに変わっていきました。それほど、私は教祖を心につかんでしまったのです。あの教祖は素晴らしい、素晴らしいパワーの持ち主だ、そういう思いで教祖を見ていました。助けてくれ、救ってくれ、何とかしてくれ、その思いから、パワーを求める思いが次第に心を占めていきました。 教祖のパワーに魅せられた私は、仏壇とか墓の前で手を合わせ、どうぞ幸せにしてくださいと、いわゆるご先祖様に導かれていくことをお願いするなんて、どこか年寄りくさく頼りのないものに感じられ、それよりも、自分の中の秘めたるパワー、それを自分の中で発掘することが素晴らしいと思うようになったのです。そうしているうちに、教祖が亡くなったということを耳にし、同時に自分が亡くなる日時を予告していたとか何とかという噂も聞こえてきて、やはりすごい人だという感想を重ねました。その後、その団体は、その方の娘さんに引き継がれていったようでしたが、私としては、教祖に感じたものが強烈だったので、教祖の死により私の足は自然と教団から遠のいていきました。しかし、父の病気が、母を他力信仰へ走らせ、私もまた不思議なパワーに惹きつけられるように、その教祖を心に入れる結果となったことは、間違いのない事実でした。 様々な宗教的な試みも功を奏さず、父の病気は相変わらずの状態でした。普通の状態と具合が悪い状態を繰り返しつつ、日々を過ごしていたのです。しかし、繰り返しますが、本当に普通の時は、この上もない良い父でした。 父は、私立の高校の教諭をしていて、その合間に親から引き継いだ店で妻つまり私の母とともに、朝早くから夜遅くまで働き続けてきました。ずっと店の定休日は月に一度だけでした。日曜日が休み、あとお正月三ケ日とお盆の数日だけが休みで、年末は十二月三十一日のNHKの紅白歌合戦が終わる頃に、ようやく店を閉めるという状態でした。また、三ケ日といっても二日の午前中は、すぐ近くの銭湯が朝風呂をしていたので、店を開けていたように記憶しています。それほど、両親は働いてきました。 しかし、それでも時間を作っては、私達親子は近場にお弁当を持ってよく出かけていました。家族旅行も何度かありました。夏はプールに海、そして冬には温泉、季節の良い頃にはハイキングと、楽しい思い出はたくさんあります。幼稚園前後には、店が休めない母を残して、私は父によく連れて出てもらっていました。百貨店の屋上にある遊技場で遊んでいる写真などを見るたびに、そうだったのだと思います。そこに母がいなかったことは、寂しかったと思いますが、一家四人で外食した思い出もたくさんありますので、父の病気という点を除けば、私は幸せに育てられたのです。 また、私が生まれた世代は、物質的に豊かな時代となっていましたから、私もその恩恵は充分に受けてきました。食べる物がなくひもじい、そんなことはただの一日もありませんでしたし、本当に衣、食、住に恵まれてきたと思います。それでも、私は不幸だ、何でこんな家庭に生まれてきたのだと親を恨んできました。食べる物も着る物もその他、欲しいと思う物も、両親は買い揃えてくれました。何不自由なく育てられた、いえいつも、ワンランク上の物を持たせてくれていたという思いすらあります。 しかし、父は病気でした。しかもそれは精神病、いわゆる業病のようで訳の分からないものでしたから、その病気がとても憎かったです。私の汚点、家族の汚点だと思ってきました。病気が私達親子を不幸のどん底に陥れている、この病気さえなかったら、何で父はこんな病気になったのか、真っ暗な穴蔵の中で、さらに暗い真っ暗な思いを重ね流し続けてきたのです。私の中には、そこから抜け出せない重苦しい絶望感がずっとありました。どんなにしても、私達は一生この苦しみに付きまとわれる、そう思えば気が滅入っていく日々を過ごしてきたのです。 結局、それは私の中にある諸々の真っ黒な思いが現象化していたにすぎませんでしたが、当時の私達にはそんなこと知る由もなく、母は他力信仰を重ね、私もまた、救いを求める思いからパワーを見出したい思いを、どんどんどんどん膨らませていきました。まさに真っ黒、真っ暗な中に沈んだままの私達でした。 私の育った家庭は、父の病気という深刻な問題を抱えていましたので、父以外のことで母に心配をかけたくないという思いが子供心にありました。私には母に反発しながらも、母は父のことで苦労しているという思いもあって、母の手助けをしたいという気持ちも充分にありました。また、母の愚痴を聞くのは私しかいないという思いから、自分の反発する思いを母にぶつけることはありませんでした。そういう点で、私はどこか子供らしくなかったかもしれません。物質的には何も不自由はありませんでしたが、私は小さな頃より、自分の心を縛っていたように思います。いつも父と母の顔色、様子を窺いながらの幼年時代だったのです。子供らしくないと言えばそうだし、親戚とか周りの方の私に対する評価はいつも、この子はしっかりしているということでした。その通りだと思います。それは、本来なら母に頼れるところも、店と父の病気を抱えている母に対して、自分の思いを無邪気に発散させることはできにくい部分もあって、しっかりせざるを得ない状態であったことも確かだと思います。私は姉だし、父が病気だということもあって、母も私のことを頼りにしていたのではないかと思ってきたのです。その分、私は、自分自身の心を縛っていました。縛りながら形はいい子を演じ、中は真っ暗、真っ黒そのものでした。 私の結婚 ところで、今、日本の国は少子化という社会問題を抱えています。私が、小学生から中学生の時分、昭和四十年代から五十年代の頃は、今と違って塾に通っている友達はあまりいませんでした。今は禰子も釈、lも塾通いです。自家用車で母親が送ってきているのもよく目にします。幼稚園に入園するのもお受験です。何かおかしな風潮だと思いませんか。有名私立の幼稚園から、エスカレート式に大学までという親が子供に懸ける思いは、すごいエネルギーです。高学歴は高収入に繋がります。少なく産んで、一人の子供にエネルギーを集中させるということでしょう。 大概の子供達は、小さな頃から、勉強、勉強と試験地獄の中で競争させられています。当然、子供達は多忙です。その合間を縫って、ゲームに夢中です。勉強も遊びも個々の世界の中に没頭してしまっているようです。友達とうまく付き合えない子供や、ちょっとしたことでキレる子供が増えています。様々なストレスを弱者いじめで発散させている子供も見受けられるようです。親からの締め付けが厳しい、あるいは逆に過保護に育てられている、そのような状態が子供達の心に大きく影響して、子供達の心の世界は今や危機的な状態だと思われます。 また、今はありとあらゆる情報が氾濫している世の中です。そのような社会の中で、自由を謳歌するのも結構ですが、その代償はあまりにも大きいと思います。そして、人々の心にあるのは、金、金、金です。幸せになるにはお金が要る、お金を稼ぐ人は素晴らしい、この思いは、大変根深いものでしょう。たとえば、単純に野球が好きで、あるいはサッカーが好きで、野球選手やサッカー選手になるのが夢だと、このような少年達は昔も今も変わらずだと思いますが、しかし、残念ながら、そのスポーツの世界すらも、もうお金にまみれ切っているという状態でしょう。 戦後の混乱から世の中が落ち着き、そして高度経済成長を迎え、働き蜂が日本の経済を支え、見事に復興してきた時間を経てきました。そしてバブルがはじけ、気が付けば日本国民こぞって中流意識から、今や経済格差の拡大です。持てる者は益々持ち、持たざる者との差が、これからも益々広がっていくだろうと思います。お金に牛耳られていくこれからの日本の国ではないでしょうか。もっとも、世界の国々もまた同様です。だからこそ、そこに様々な犯罪が起こり、人々の心を恐怖と不安の中に陥れていく事件、事故が日常茶飯事に起こってくるのだと思います。 そうした社会情勢の中で、昔と変わらずに、親は子供の幸せを願い、健やかに育ってくれるのを望んでいるはずですが、ではその幸せとは何か、子供達に託する無限大の夢、将来とはどのようなものなのか、何を基準に幸せとか夢とか将来を描いているのか、親としてどのような回答を示すことができるでしょうか。 もちろん、このようなことを考えて、結婚する方はおそらくほとんどいらっしゃらないと思います。好きだから結婚する、運命的な出会いだったと、若い情熱の赴くままに、人生の新しいスタートを切られると思います。良きパートナーを得て家族を形成していくのは自然です。私自身もまた、その例外ではありませんでした。もっとも私の結婚の動機は多分に不純でした。 そもそも、好きでない人とは結婚という形態はとらないと思います。出会いとかきっかけは様々にあると思いますが、とにかく互いが互いをいい人だなあと認め合うとか、いえもっと熱烈にこの人でないとだめだと思えなければ、結婚はできかねるでしょう。しかし、そうして結婚しても、その当時の思いというものはどこへやらで、日常の雑多に忙しく追われていく日々とともに、心の中の小競り合いも重ねていきます。そして、二世が誕生すれば、特に母親の思いは、我が子に集中していきます。夫よりも我が子です。夫などどうでもいいとは言いませんが、とにかく、夫は元気に働いて、自分と我が子にお金を運んできてくれさえすればいい、案外そのような奥さんが多いのではないでしょうか。お金を運ばない夫は、夫としての値打ちがないと粗大ごみの烙印を押されてしまう場合もあるかもしれません。また、そこまでいかなくても、どういうわけか妻子から敬遠されて、いつの間にか家庭にいても自分の居場所がないという、そんな哀れな父親も増えているようです。だから、家庭の外で自分を発揮しようとします。自分を認めてくれる場所や人、物を探し求めていきます。それが会社つまり仕事の人もあれば、女、酒、ギャンブル等々という人もあるのでしょう。そのような家庭環境、夫婦の中で、一体どんな子供が育つのでしょうか。 お受験をさせて我が子に過度の期待を懸けていく母親、その母親の呪縛から何とか脱出を図ろうともがき苦しむ子供、その様子を見て見ぬふりの父親と、たとえば、一見平和そうに見えている家庭も、それぞれの心の中を覗けば大変です。家族はバラバラかもしれません。一体家族というものは、何によって繋がっているのでしょうか。 さて、ここでまた私のことに戻ります。 私自身の結婚の動機は不純であったと述べましたが、そうです、その通りです。私は、父の病気という環境から逃げ出したかったのです。そこへ渡りに船ではありませんが、私を好いてくれる男性が現れたのです。もっとも容姿端麗、頭脳明晰とはいかなかったし、家柄も普通一般でしたが、私は熱烈な申し込みに押される形で、その船に乗りました。ということは、私なりに新天地を開きたかったことと、もちろん、その人の人となりに惹かれていったのだと思います。しかし、動機は不純でしたし、当時二十三歳だった私の中に、結婚は力関係が物を言うという思いがありました。好いて結婚するより好かれて結婚するほうが、後々自分には有利だし、これだけ好かれているのだから、きっとこの人は私を幸せにしてくれるだろうという思いもありました。情熱のままにというのとは程遠いです。自分なりに計算をしていました。今から思えば、もうすでに駆け引きの中にあり、本当に性根が腐ってしまっていたのだと思います。 しかし、私の計算は見当外れでした。そこに、夫の母親と妹、つまり姑、小姑の存在がありました。夫、姑、小姑、この三人の結束は固いものでした。私はどこまでもよそ者でした。姑からすれば長男である夫は、他の二人の子供よりも頼りになる子供であったし、一番可愛がっていた子供でした。その母親思いで母親びいきだった我が子が、ある日から嫁を第一にする、これは姑としては穏やかならぬ心境でしたでしょう。また私も、結婚前には、何でも私を第一にしてくれていた夫なのにと、話の端々に母親を介入してくる夫に、私を第一に考えろ、第一に扱え、そういう思いをことあるごとに、流し続けてきました。私と母親とどちらを選ぶのか、それこそ思いは、相手の胸ぐらをつかんで挑みかかるほどの勢いで、世間によくある嫁姑の闘いの火花を散らしてきました。形の上で激しく争うことはありませんでしたが、心中はそういうことでした。これは後日、私自身の心を見るという学びの中で、自分自身確認済みです。小姑との間も然りでした。 嫁ぎ先は学歴を重視していました。昭和一桁生まれの姑は高等女学校卒業、その娘は大阪の有名な国立大学卒業、そして二人の息子も一応関西の私立大学が最終学歴です。そして嫁してきた私は高等学校止まりでした。嫁となる人には、せめて短期大学くらいは卒業してほしかったという姑の言葉を間接的に聞き、私はそれを握りました。それは聞き捨てならないことでした。見下げられたと思いました。今に見ておれ、見返してやる、くそったれという思いがムクムク湧いて出てきていました。そして、そのエネルギーは、資格取得の勉学に励むエネルギーに変わっていきました。結婚前より続けてきた勉強で、見返してやりたかった、私を認めさせたかったのです。 私が通っていた高等学校は、当時ほとんどの生徒が大学に進学していました。私もその中で大学受験を目標にした高校生活であったし、それなりにやってきたつもりでしたが、私には大学受験の壁は高いものでした。現役と一浪、二度失敗しました。浪人時代には予備校にも通わせてもらいましたが、ポイントを外した勉強の仕方だったのでしょう。とにかく私は大学受験失敗という劣等感の中にありました。一浪してだめだった私は、自分の学力に限界を感じていましたので、もう一度というエネルギーは、もはやなく、大学というところが自分から遠いものになっていました。そうなってくると、大学へ入って具体的に何をしたいという目標もなかったなあ、みんなが行くから私も行くということだけだったなあ、ということが自分の中で感じられて、あっさりと大学進学という思いは引いていきました。ただ、受験失敗という劣等感だけはしっかりと残った形になって、ではこれからどうするのかということに当面の問題が移っていったのです。 もともと、高等学校は進学校であったところに、二度の失敗ということで、就職するにしても何も当てがありません。私自身ソロバンひとつできるわけでもなく、何か特技があるわけでもなく、しかしこのままブラブラもできないということで、そこで考え付いたのは、とりあえず簿記の勉強を始めるということでした。昼間、簿記の専門学校に通い、商工会議所主催の検定試験に臨むという日々でした。それが大学受験失敗の春から一年くらい続きました。そうしているうちに、家の商売の関係筋より、就職口の話があって、全然知らない人達のところで働くよりも、こうして知り合いの人がいる職場で働かせてもらうほうが安心ということもあって、ちょうど悪夢の大学受験失敗から一年ほど経った年の六月、途中入社で、ある金融機関に就職させてもらいました。そして、その金融機関で、私は前述の夫となる人と出会ったのです。彼は、私が入社した年の翌年、大学を卒業して、四月の入社でした。その時は、牛乳瓶の底のような分厚いメガネをかけている男性というのが私の第一印象で、まさかその人と結婚するとは思いもよらないことでした。それが何と両親もびっくり、出会いから二年くらいして、私達は結婚したのです。私がその金融機関で働き始めて三年目の春、彼が二十九歳、私は二十四歳の時でした。そして、その時を境に、私は簿記の基礎知識を活用できる職場へ変わりました。と同時に、それから、あのくそったれのエネルギーに突き動かされて、税理士の資格取得を私は自分の当面の目標に掲げて、仕事と一応主婦業、そして資格取得の勉強という三本柱に明け暮れる日々を過ごしていきました。 一浪してもだめだった大学受験でした。あの時、もし自分の希望の大学に入学していたら、私はあの金融機関に就職することは絶対あり得なかっただろうし、そこに就職していなかったら、夫となるべき人との出会いもおそらくなかっただろうと思います。また、その人との出会いがなければ、私自身結婚ということに縁がなかったでしょう。それは、私自身に、結婚したいとか、結婚しなければという思いが薄かったからです。結婚にバラ色の夢は抱けなかったのです。父の病気に嘆き悲しみ愚痴る母をずっと見てきました。この人のために私の人生台無しだと嘆く母とずっと接してきました。私は母みたいな人生を歩みたくないという思いに固まっていたのです。 結婚したからといって、必ずしも幸せになれるとは限らない、その実例を目の当たりにしてきた私には、結婚に過度の期待は持っていませんでしたが、当時、父の病気と母の暗い顔、そして大学受験失敗もあって、環境を変えたい、自分の世界を変えるきっかけが欲しいとは思っていました。それは、やはり自分が幸せになりたかったからです。因みに私が思い描く幸せとは何かということですが、自分のために生きること、それが私の幸せの条件でしたし、強く望んでいることでした。誰かのために生きる人生は人生でない、そして誰かにまた何かに翻弄されて生きていく人生なんて嫌だ、人生とは自分のためにあるものだ、そう思っていました。そして、結婚は幸せへの門出とは決して思っていなかったけれど、もし結婚するなら、望まれてするのがベスト、そう思っていました。父の病気と母の暗い顔、家庭の暗い空気の中で、自分の人生を自分のために生きるには、何が必要なのか、それを模索していたのだと思います。くそったれのエネルギーに突き動かされてということもありますが、結婚しても、働きながら資格取得の勉強を継続していたのは、そのためでもあったのです。 結婚自体に期待したのは、私の環境が変わるだろう、それをきっかけに自分自身の世界が変わるかもしれない、その糸口が見つかるかもしれないという思いでした。この人と人生をともにという思いは全くなかったと言えば嘘になるかもしれませんが、私はやはり、結婚というものを自分の境遇から飛び出るきっかけにしたかったのだと思います。 しかし、その思いも違っていました。私は自分の境遇から逃げたい、とこのように思っていたはずなのに、私の心は父も母も離すことができませんでした。その証拠に、私は自分達の新居の場所を、親の近所に希望したのです。それは、毎日様子を見ることができる距離に自分を置きたいという思いからでした。私はほぼ強引に住む場所を選びました。こうして、一事が万事、私が主導権を握るという形で、私達は新しい人生のスタートを切ったのです。 自分のために生きる人生という真の意味を知らなかった私は、欲の塊、そして今思えば浅はかでした。自分の頭を過信して、その頭で判断して計算していたのです。これだけ望まれて結婚すれば、私にとって損はないだろう、自分の思い通りに生きていけるという計算が成り立っていました。そして、思い通りに生きていけるということは、自分のために生きていける人生だということだ、だから私は幸せになれると単純に思っていました。もっとも、欲の塊と言っても、結婚して三食昼寝つきの妻の座に納まる、つまり永久就職という思いはサラサラなく、私にはそういう意味での欲はありませんでした。と言うよりも、私にはそういう気楽さを選択することが、とてもできませんでした。もし、そんなことをして、夫が何らかの理由で働けなくなったら、あるいは働かなくなったらどうする、そうなれば共倒れではないか、共倒れはごめんだという思いを持っていましたから、専業主婦になる気など全くありませんでした。誰かに自分を託すという危険を冒したくなかったのです。私は、心の奥深くで、自分をそれだけ閉ざしていたということになると思います。 夫はいい人でした。健康で真面目に働いて、私の言うことももちろんよく聞いてくれたし、結婚前も、結婚後も人格がコロリと変わることはなく、酒も女も博打も縁遠い人でした。もちろん家庭内暴力もありませんでした。 しかし、私は、やはり結婚は、自分を賭けるに値しないものだとすぐに感じました。結婚では私は幸せになれない、私が望む幸せは得られない、この思いが私の中でそれからくすぶり続けたのです。いい人だっただけに、私は悩み苦しみました。熱烈な求愛に乗ってしまった自分を責めました。結婚して、人並みに子供を産んで育ててというところに、自分の思いがどうしても乗り切れないことを、やはり実際結婚してみて感じていったのです。何かが違うんです。何か自分の中でしっくりいかないんです。しかし、その何かが私には分かりませんでした。分からなかったけれど、結婚ではなかったということだけは分かっていましたから、当面私のエネルギーは、資格取得の勉学に励むことに集中し費やされていきました。 結婚をして、子供を産んで、ひとつの家庭を築いて、そこに女の幸せと喜びを見出す、世間の相場は今も昔もあらかたそのようです。私の思いはそのことと相容れないものでした。子供を産んで育てることだけが女の幸せ、少なくとも私の幸せだとはどうしても思えなかったのです。自分の夫となる人と生涯をともにする、つまりこの人に私の人生を賭ける情熱は私の中で費えていました。最初は、そういう人との巡り会いでなかったのではないかとも思いましたが、いえいえそうではありませんでした。私の選択に間違いはなかったのですが、しかしそれはずっとあとになって分かったことでした。 当時は漠然とした思いの中で、それではなぜ結婚したのかと悔やむ日々であり、私の中で苦しみが募りました。表面上は普通でした。特に私を苦しめる夫でもなかったし、何もなかったけれど、私は自分自身との葛藤がありました。心はいつも疼いていました。ましてや、結婚すれば、相手は一人ではありません。舅、姑、小姑、煩わしい人間関係が持ち上がってきます。できることならあまり関わりたくない人達だったというのが、正直な感想でした。 学歴で馬鹿にされた、私は低く見られた、それが私の中で尾を引いていました。馬鹿にされたくない、この思いから私は自分を繕い続けました。いい子ぶりっ子を、その人達の前で演じなければなりませんでした。しかしそれも疲れるから、近所に住んでいても、私が顔を出すのは、せいぜい盆と正月くらいで、その分、夫はせっせと顔出しをしていました。私は私で自分の親のほうに足を向けるということでした。育ってきた境遇も違うし、家庭環境も違う中で、結婚したから、親戚になったからといって、そうそう馴染めるものではありませんでした。それでも私がお母さん、お母さんと低姿勢で接していけば、その関係もまた違ったものになっていたかもしれませんが、プライドが高かった私に、そんなことができるはずがありませんでした。可愛い嫁として舅、姑に仕えていれば、それでよかったかもしれないけれど、私にはそういう見え透いたこともできませんでした。そして、とにかく夫、姑、小姑の三人の結束は固いという印象は、私の中で最後まで消えることはなく、そんな中に無理に入り込まなくてもいいと思ってきました。それで、私自身何も困ることも、また不便を感じることもなかったし、適当に付き合っていけばそれでいいではないかという程度のお付き合いでしかありませんでした。 世間的には、私は長男の嫁でしたが、そんな長男の嫁らしいことはほとんど何もしてこなかったと思います。おそらく、嫁としては失格だったでしょう。私は自分をそう評価しています。自分を曲げてでもという思いに至らなかったのは、私自身、経済的に独立していたことにあるかもしれません。いえ、このことは自分を高くそびえ立たせるのに余りあることでした。夫の言うことにはなかなか従わない、そのくせ自分の主張を通す、本当に何事においても、傍若無人だったと思います。それでも、一応、炊事、洗濯、掃除等々、それらをこなしていきました。もっともそれは、することの喜びを感じてとは言い難く、しなければならない義務感からやってきました。我がまま、気まま、自分勝手の私は、嫁としてもそうですが、妻としても失格でした。それは自分自身が一番よく分かっています。いい妻、いい嫁、それを演じることは私にはできませんでした。それは、私には心と裏腹なことをやっていかなければならない理由が、どこにもなかったからだと思います。結婚後も働き続け、そして税理士資格取得のために夜は専門学校に通う、言ってみれば、自分のために時間を割いていく私のどこに、妻として嫁としての顔があったのでしょうか。どこにもありませんでした。私は、ただ自分のためだけにエネルギーを注いできたと振り返っています。 共同生活人の夫と私は、ひところ流行ったダブルインカム、ノーキッズということで、経済的にゆとりはありました。旅行、買い物、飲食、飲酒、まさに肉の楽しみをやり続けてきました。子育てという共通の話題がない私達には、自分達の肉の楽しみを追い求めていくことしかありませんでした。肉の楽しみを追及していくことで、互いの中にあるうっぷんを誤魔化していったのだと思います。特に飲酒は、私自身結婚前後から、生活習慣になっていました。夫も舅も私もお酒は強かったし、食事にはお酒はつきものでした。お酒で大きな失敗こそありませんでしたが、自分自身の心をアルコールで誤魔化していたことは事実でした。私の中の意識(私)は自分のために生きる人生をと、生きる道を探し求めていましたが、肉は肉の中に流されていく状態でした。しかし、中が疼いていましたから、こんな肉、肉の生活は、いつかは破綻が来ることは目に見えていました。とてもこのままで行くとは思いませんでした。ちょうどそれは、今にもあふれ出しそうなくらいに満杯の泥水を貯めた大きな瓶が、あと少しの揺れで壊れて、そこからどっと泥水があふれ出ていくだろうと、たとえればそのような感じを、私自身は抱いていたのです。 まず、その手始めは夫の裏切りでした。真面目で貯蓄もコツコツとする夫でした。まさかその夫が商品先物取引に手を出しているとは思いも寄らないことでした。専門知識も何もない土素人が、そんな世界に首を突っ込んでいようとは、まさに私には晴天の霹靂でした。その事態に、夫は私を裏切った裏切り者だと私の中は叫んだと思います。私の知らないところで、開けた大損の穴、その金額を目にした時、それこそ八つ裂きにしてやりたい思いでした。夫は自分のうっぷんをそういう形で表していたと思いますが、夫を慮るどころか、私の意識は、容赦なく相手を殺しにかかっていたと思います。その時、裏切り者は殺すというはっきりとしたエネルギーを、自分の中で感じていました。真っ直ぐにそのエネルギーは、夫を目掛けて突き刺していたことを、私の心はとらえていました。そのエネルギーが止めを刺したということでしょうか、大損の決済から数カ月経って、夫の病気が発覚しました。 なぜ結婚したのかという疑問は、自分の中で自分が回答を出しましたが、結婚生活十年間は、そのことで自分を責め続けました。楽しいことも肉を喜ばせることも多々ありましたが、心の底はモヤモヤしていたのです。そういう点からすれば、肉が楽しくても肉の快楽を得ても、私は決して幸せではなかったということになると思います。疼きを感じながら誤魔化し続けてきた自分があったからです。当然、感じていた喜びとか幸せは、みんな表面的なものでしかありませんでした。たとえば、当時の目標だった税理士試験合格が現実のものとなっても、それまでの年月に割いてきた時間とエネルギーに応えるような喜びは全く感じられませんでした。何ともスカみたいな気分でした。 夫の病気と死 そうこうしているうちに、自分を責め、そしてまた相手をないがしろにしてきた結果が、十年目にして一気に噴き出してきたのです。まさかこんな形で、私達の結論を迎えるとは思ってもみなかったことでしたが、それは見事に破裂しました。 夫は、健康でした。体格もよく、大病はもちろん病気らしい病気などしたことがありませんでした。そんな夫が、少し体調の変化を訴えて、軽い気持ちで病院に行ったところが、その診断の結果は、肺ガンでした。夫には喫煙の習慣はありませんでした。病状の段階は、五段階の四、それももはや手術もできない状態でした。突然、その現実を目の前に突きつけられた夫と私でした。周りはもちろん驚きと戸惑い、そして悲しみ、絶望、一気にその波が押し寄せてきたのが、一九九二年の十一月晩秋の頃、夫三十九歳、私三十三歳でした。さあ、それからが大変でした。来るものが来たという感じと、自分の中にある死への恐怖が心を覆い尽くしました。夫を気遣う余裕など私にはありませんでした。 それから私は、父が長年お世話になっていた日本赤十字病院に入院した夫を、昼の休憩時間と、仕事が引けてから面会時間の終了まで、一日二回、見舞う日々が続きました。あとどれくらい生きられるか、ガンの末期症状とはどういう状態になっていくのか、死の恐怖や様々な不安と直面しながら、一方で医師から夫のガン宣告を受けた私は、自分の存在している支えが全くない現実にも直面していたのです。自分のために生きる人生とは何か、この現象でそれが自分の中で再びクローズアップしてきたのです。自分はこれから何をどうすればいいのか、何も分からない状態の自分自身であった現実を感じざるを得ませんでした。 夫がガン宣告されたことにより、自分のために生きる人生とは何かと言えば、私は、それは自分の力で切り開いていくものであり、切り開いていけるものだと思ってきたと感じたのです。肉で何とかすれば何とかできる、その努力というか、その一生懸命を私自身はよしとしてきたと思いました。その思いが間違っていますと自らに告げたメッセージが、夫がガンになったという現実でした。肉の自分を信じ、肉の力を信じてきた私に、肉でどうしようもできない事態が持ち上がってきたのです。人の死なんてどうすることもできません。自分の非力さを感じました。人の儚さを感じました。そして、自分の中心棒がなかったことに気が付きました。さあ、これから、どうして生きていけばいいのか分からなかったのです。お金ではありませんでした。生活していく手段ではなく、自分が自分としてどう存在していけばいいのか、肝心要の中心棒がなかったという現実に突き当たった私は、当然その中心棒を知りたいと思いました。 その数カ月前に、意識の世界ではすでに夫を亡き者にしている私は、夫のガン宣告を受けたその時点で、今度こそ本当に夫はもう死ぬと思いましたから、もはや、夫の命を救ってくれと神頼みは全く無駄なことだと思っていましたが、我が子を思う母親の思いは、そればかりでした。女三十三歳の厄を、息子が代わって背負う羽目になってしまったのではないかとまで言った姑ですから、心ひそかに、神通力というものを信じていたのかもしれません。それこそ藁をもつかむ思いだったと思います。祈祷してもらった真新しい下着を身につければ、身体の不都合が癒されるとか、たとえばそういう非科学的なこともやってしまうのです。一縷の望みを抱いて、そういう馬鹿げたことにも本気になってしまうのは、愚かと言えばそれまでですが、子供を思う親の気持ちを察すれば、頷けることかもしれません。本当のことを知らなければ、誰しもが大体その程度のものなのではないでしょうか。 一方、私は私で、そのような肉では混乱している中で、必死に自分の支えを探していたのだと思います。厳しい現実を前に、私には、自分の中心棒がないと感じた現実のほうがもっと厳しかったです。そこへ浮上してきたのが、それまでちょくちょく母から聞いていた、心の勉強会のことでした。実は、私はその勉強会というのは、母が以前にやってきた他力信仰の類だと思っていたので、母から話は聞いていたものの、軽く受け流していたのです。しかし、こうなっては、自分がどうしていいか分からなかったので、とりあえずの気持ちで、ガン宣告を受けた日の翌日に学びの門を叩きました。夫の病気と死という現象が、自分自身を真実の世界に誘導していったことになります。もちろん、動機は、夫の命を救ってくれという思いからではなく、自分自身の心、自分を救ってくれという思いでした。その時点では、もうすでに私の中で夫は消えていました。そして形は、一応相談というものでしたが、私がその日に心で感じたものにより、すでに私は自分に答えを出していたのです。それは、「ああ、私は間違っていた」これでした。その時を境に、私は自分のこれから先を、どのようにやっていけばいいのか、心はもう感じていたのだと思います。私が探し続けてきたものがここにあることをうっすらと感じ始めたのだと思います。だからこそ、夫はこれから先どれくらい生きられるか分からないけれど、できるだけのお世話をしたいと本気で思い、毎日毎日、仕事場と病院の往復でした。それと並行に、学びの世界にも冊子を通して、積極的に触れ始めていったのです。 まだ若くして大変な病気になった夫を持つ私を、医師や看護師達は気遣ってくれているようでしたが、私にすれば、そういうことはどうでもいいことでした。どの道、医学処置ではどうすることもできない状態で、できることは痛みを和らげることだけであったし、夫の死は遅かれ早かれやってくると思っていましたから、医者に縋る思いは私には全くありませんでした。検査も必要最低限のことだけをしてくださいとお願いしました。むしろ、医者といっても検査結果の数値でしか判断できないと、見下す思いを向けていました。同情されることを嫌いました。憐れみの目で見てほしくなかったのが本心でした。 末期症状を危惧して、そうなればどのように看護していけばいいだろうかと、思案はしましたが、夫の状態は、人から聞かされていた話よりずっと手のかからないものでした。体重も健康な時と変わりませんでした。私は病人の看護らしきものは、ほとんどしなくてもよかった状態でした。従って、看護疲れは私にはありませんでした。そういうことが、その時はそうは思いませんでしたが、あとから思うと不思議でした。不思議と言えば、私が見た夢の通りのことが、その日病室へ行ったら現実のものになっていたこともそうでした。夢の中で、抗ガン剤の投与の影響で、足の末端まで血液が流れなくなってしまって、片方の足先が壊死状態になっていることを夫が私に告げていました。それはまさに正夢でした。そして、私はこのままだと片足を切断しなければならないでしょうと、担当医から言われたのです。ここまで来て足を切断しなければならないのかと、さすがの私もすぐには夫に告げる気持ちにはなれませんでした。 さて、どうしたらいいのかと思っていた矢先でした。入院から三カ月後の一九九三年二月に、夫は三十九歳でこの世を去りました。足を切断することもなく逝ってくれたことに、私は正直なところ安堵しました。その時が、人の死に初めて立ち会った時でした。今でも死に水を取った感触を憶えています。そして、あの時、何かが自分の中で崩れていくのを感じたのです。それは、寂しい悲しいという感情よりも、何かこれからという思いだったように思います。 それからの葬式とかその後の弔い行事だとかは、全部、嫁ぎ先が一手に引き受けてくれました。自然とそういう形になっていました。親よりも先に逝ったということで、両親にしてみれば、そうすることが当然だと思われていたのかもしれませんが、私にすればすべてが好都合でした。それも不思議と言えば不思議なことでした。私は嫁ぎ先の意向に従うだけでした。まだ私自身も学んでいる状態とは決して言えず、なぜ葬式は不必要なのか、とかそういうことは全く分かっていませんでしたから、その時点では従う以外にどうしようもありませんでした。四十九日の切り上げまで、毎週お寺さんが来られるから来てくださいと強制されても、いえ行きませんとは言えませんでした。また、嫁ぎ先で新しく購入した仏壇にも応分の負担をしました。私にはどうでもよかったことでしたが、一人の息子を亡くした両親にとっては、それは大変な試練でしたでしょうから、もう親としてできることは、そういうものでしかなかったと思います。特に姑の思いの入れようはすごかったです。通夜には、「成仏しいや」と死出の旅装束を真剣に言われるままに整えたり、仏壇のことについても、お寺さんに根掘り葉掘り聞いていました。線香の灯は絶やさないとか、炊き立てのご飯を真っ先に仏壇に供えるとか、一時が万事そうでした。舅はまだ商売の仕事があったので、その方面で気が紛れていたようでしたが、姑のそれからの毎日の時間の多くは、仏壇の前で過ごしていたのだと思います。息子を失った悲しみに明け暮れる日々だっただろうと思います。それが直接の引き金になったのかどうかは定かではありませんが、やがてその二、三年後、姑もまた肺ガンで、息子と同じ病院で息を引き取りました。 一方、私はと言えば、自分が進むべき道が見え始めていたのですから、もう心ここにあらずで、思いは前を向いていました。夫の身の回りの品々を整理し、住まいを改装し、私は着々と準備を進めていきました。夫を失って悲しみに暮れている暇など私にはありませんでした。そうして、夫が亡くなった二カ月後の一九九三年四月に一泊でしたが、初めて熱海のセミナーに参加できる運びとなったのです。それからが私の本当の人生のスタートでした。セミナーを生活の中心に据えていくことが、ごく自然に私の中の流れになりました。それまではセミナーに参加することを、母から何度も勧められてきた私が、今度は自発的に、そして積極的にセミナーに集い始めたのです。 この世的に見れば、四十歳前で他界した夫とその未亡人は、何と不幸せかということですが、少なくとも私は全く違っていました。その反対です。間違いに自らブレーキをかけたのです。しかも究極的な方法を自ら選んできたことを感じている私には、今までの疑問、悩みが溶け始めてきたのです。 なぜ結婚したのか、それは肉、肉の自分自身を転回させるためでした。ここで私は「転回」という言葉を使いました。これからも文章中に、「心の転回」「意識の転回」「アルバート」という聞きなれない言葉が出てくると思いますが、それらについては、本の後半の部分で説明させていただいています。ここでは、「心の転回」「意識の転回」というのは、形の世界が本当だとする思いから、意識の世界が本当の世界だとする思いへ変えることだと理解していただければと思います。そして、その思いを変える重要な鍵が「アルバート」だと覚えておいてもらえればと思います。 話を戻します。私は非常事態を選択しました。もちろん、その現象ひとつだけではだめです。しかし、その針の向け先を変えるには充分でした。夫がただ単なる病気で、時が経てば元気になるというのではだめでした。だから、夫の死というものは、私には必要不可欠の現象でした。そう思えば、夫の私に対する熱烈な求婚も頷けます。特に結婚ということに夢を持っていなかった私が、それを受けたことも頷けます。 そして、予定のシナリオは続いていきます。いつまでも悲しみ憂い、悲劇の未亡人ではどうしようもありません。そんな真っ暗な中にいては、酒に男にその他のものに溺れていくだけではないでしょうか。そういうシナリオを描く人もいるでしょう。しかし、私は違っていました。私はその現実に自らぶち当たり、そこから自分の方向を変えていこうと思えたのです。マイナスの現象をプラスに変えるべく、私は自分のエネルギーを使おうとしました。それがセミナー参加という形になっていったのだと思います。私は見事に転機をものにすることができました。真実の方向に自分自身を誘えたことを、今はただただ嬉しく思っています。 人間とは弱いものです。人間は寂しい心を抱えています。本当のことを知らずにさまよい続けているのが、人間だと私は思っています。立派な考えを持たれていても、所詮、自分の本質を知らない人間は、堕落の一途を辿り続けていくのではないでしょうか。 夫との出会いから結婚、そして死に至る時間は、私には決して無駄な時間ではありませんでした。結婚イコール出産、それがいわゆる世間の常識の枠内です。その枠内で私は随分心を使いました。子供を産む、産まない、産みたくない、子供が欲しい、欲しくない、そういう揺れ動く思いを感じてきました。 この人の子供を是非産みたい、そのような純な思いは私には残念ながらありませんでした。むしろ我が子を産んだ後々の責任の重圧感のほうが私には大きかったのです。また、欲望の結果を経済的な理由等の全くの身勝手で、生命の芽を摘み取るほどの大罪はないと思ってきました。自分の子供には責任があります。犬や猫のように捨て育てなど到底できないし、そんな大らかな心は自分自身持ち合わせていませんでした。 子供には子供の人生がある、口で言うのは簡単です。しかし、肉の形となってこの世に生まれ出た以上、自分自身の心を子供から離していくことはやはり難しいです。もちろん、子供を持ってそこから心を見ていく、言うなれば子供とともに自分も成長していくことがベストでしょうけれども、現実、それは本当に難しいのではないでしょうか。子供を産むお母さんの心が、何が本当のことかということが分かっていて、きっちりとできていれば、それこそ本当に我が子とともに喜び、喜びの道を歩いていけます。しかし、そんなことを待っていたら、少子社会どころか誰も子供を産むことなどできません。ここまで言ってしまえば、極端過ぎて現実的ではありませんが、それほど私達は肉の中に埋もれてしまった状態であり、そんな私達が意識の転回をすることは本当に難しいことだ、ちょっとやそっとの思いではなかなかということを、私は言いたかったのです。結婚をするために生まれてきたのでもないし、子供を産むために生まれてきたのでもない、たぶん、私は自分の心の奥底で、すでにそういうことを感じていたのではないかと思います。そして、それを感じつつも、当時はまだ自分の中ではっきりと分かっていなかったから、肉は何かそういうところで悩みあぐねていたのだと思います。 現実は、何も知らない親が子供を産み育て、親子ともども苦しみの中で苦しみ喘ぎながら、親子関係が続いていっているようです。それはそれでいいのです。父親も母親も、心を見るために子供を儲けてそして育てていく、そして子供もまた心を見るために生まれてくるからです。そういうことに、互いが気付いていけば、その親子関係は親子の枠組みを超えた素晴らしいものになっていきますが、そこまで到達しなければ、やはり肉の関係が多ければ多いほど、苦しみも大きくまた深いのが現状かもしれません。このように、血の繋がりのある親子の枠組みを外すということは、困難を極めますが、それにも増して、全く赤の他人の夫婦というものも極めてやっかいです。互いが互いの心を見る教材として、相手を心でとらえることができなければ、夫婦というものも苦しみの大きな種でしかないでしょう。実際、形ばかりの夫婦なんて、世の中にざらにあります。表面は取り繕っても、中は荒れ狂っている状態のままです。欲だけで繋がっている仮面の夫婦は、何のために結婚して、何のために子供を儲けたのか、そんなことなど思いも及ばなくて、互いの生涯を閉じていくのだと思います。 私は、結婚という形を取ったことで、嫁と舅姑、そして小姑といった図式の人間関係を持たせていただきました。お蔭で形を本物とする中でしか生きていない人間の愚かさを実際に体験できました。そして、そこから本来私達が学ぶべきものがあるのですが、それはそれぞれが真実の世界に触れない限り、実り多い結果にはならないことも学ばせてもらいました。互いが互いを肉としてしか見れない中では、本当の意味で仲良く平和に過ごすことはあり得ないことでした。それを無理にそうしようとするところに、またいびつなエネルギーが発生して、そのエネルギーがさらに人間関係を複雑にしていくのだと感じてきました。その愚かな人間関係を覗けば、もうそれでよかった、それで充分でした。 不必要なものは自分の前から消え去っていくように、私はセミナー初参加の翌年、アメリカセミナー参加を契機に、姓を旧姓に戻し、嫁ぎ先を去りました。自分に子供がいなかったので、その手続きも簡単でした。こうして、私は文字通り身軽になって、セミナーに自分を集中させていく段取りが整えられていったのです。 ようやくセミナーに集えました 最初、自分が自分としてどう生きていけばいいのか、それを知りたくて、セミナーに集った私でしたが、セミナーに参加してみて、まず私の興味を惹いたのは、当時盛んに行われていたチャネリングとチャネラーでした。そのことにより、私の心にあった思いが、またムクムクと頭をもたげてきたのです。それは、自分の中のパワーを引き出したいということでした。チャネリングを能力すなわちパワーととらえていた私は、自分自身ももちろん、そのパワーを自分の中で見出しそれを大きくしたいと思いました。パワーを発掘してどうしたかったのか、こんなこともできると己を誇り、人の上に立ちたいのか、それで人の心を読み取ってその人を牛耳ろうという魂胆なのか、それはそれぞれの思惑があるでしょう。私の場合は、その能力さえあれば、セミナーで伝えられている自分自身の心を見るという作業が捗っていくのではないかと思っていたのです。その作業が捗っていくということは、何かしら自分が求めてきた本当のことに出会う近道になるのではないかと思っていましたから、やはり私はここでも頭を働かせて計算をしていた愚か者でした。どこまでも、自分の肉、頭中心の思いばかりを膨らませていたのです。 しかし、私のそのような計算とは裏腹に、自分自身は長く鈍感を絵にかいたようなものでした。鈍感というのは、肉の殻が厚過ぎて、心に響いてこない状態です。頭では理解できるものの、頭ではなくて、心で分かる学びということでしたから、鈍感ではどうしようもありません。反省や瞑想はするものの、どれだけそれが心に感じているのか、さっぱりと分からない状態が、学び始めてから五、六年続きました。その間、そこで伝えられていた、私達は神の子、神ですということは、正直申しまして非現実的でした。ましてや、エルランティ田池なんて、何か分かったような分からないような状態だったことは確かです。 しかし、反省材料は山ほどありました。私は、我がまま気まま自分勝手でしたので、その時々に使ってきた思いなんて、みんな自己中心的な己一番の思いばかりです。どこに清く正しく美しい私などいるものか、心なんて真っ黒けということはしっかりと頷けることでした。天使などこの世にいるものかとも思ってきました。さらに、肉の力を信じてきた私の自信は、夫の発病と死という現象でもろくも崩れていましたし、実際、私は立派、素晴らしいと言ってみても、肉は平々凡々であり大したこともないし、セミナーでは鈍感だったし、何かその言葉だけが空ろに響いてくるのを感じていました。 また、私は、今世に限って言えば、特に何か他力信仰に打ち込んできた形跡はなく、聖書や哲学書、精神世界に関する本を読み漁った体験もありませんでした。だから、イエスやマリアがどうとか、仏陀の生まれ変わりがどうとか、というのをまるで他人事のように聞いていたのも事実でした。イエスや仏陀と同じ時代に転生をしてきたと思ったことはありましたが、それを今の自分自身の反省に繋いでいくよりも、やはり興味本位の思いのほうが強かったです。ただ前に触れたように、ある教団の教祖を心に入れていましたから、その教祖とセミナーを開いていた田池留吉氏を、知らず知らずのうちに比較していました。向こうは、渾身の力を込めて講演と実演をしていました。しかしこちらは、その語り口は淡々としていて、当時、セミナーはチャネリング、チャネラーが中心で、セミナーには惹かれる思いはあるものの、田池留吉氏という存在は私には今ひとつの感がありました。それは、私の中でつかんできた教祖の存在が大きかったからです。それが何を意味するのか、私はまだその時は自分の心で分かるはずもなく、しかし、言われるままに、来る日も来る日も、母に使った思い、教祖に使ってきた思い、その他自分の周りの人達に出してきた思いをノートに書き綴っていったのです。 学びに集って最初に言われることは、母の反省、つまりお母さんに使ってきた思いを見てくださいということです。それを聞いて、まず最初に出た私の思いは、私にはとてもできないということでした。それは瞬間的でした。同時に嫌悪感すら感じました。自分と母の間にある壁が部厚いのを瞬間的に感じたのです。もちろん、それは今世の肉の母を思い浮かべての話ですが、私は肉ではそれほど母を嫌っていたわけではありませんでした。しかし、私の中に生き続けるそれこそ何万、何十万、何百万、いえ数え切れないほどの母の意識に対する思いは、それだけ凄まじかったということでしょう。母の意識とは、自分の中にある温もりです。その凄まじい思いは、温もりを拒否して、そして温もりからずっと遠くに離れて心を閉ざして存在してきたという何よりの証でした。それでも、私はここに自分が探し続けてきたものがあると、すでに感じていましたから、セミナー中、その時々で与えられた課題は、自分なりに消化していったつもりでした。しなさいと言われることは忠実にこなしていきました。そんな時よく思ったものでした。「チャネラーはいいなあ、自分の心が簡単に見えるのだから。鈍感な私がいくら自分の心を見ようとしても、そんなに深いところまで突き当たることができない。どうしたら敏感になれるのか。早く敏感になりたい」 そして、またふっと、こんな思いも感じていました。 「今はまだ敏感にならないのが、自分への愛です」 今、思えば、もうその時すでに、肉の私(偽物)と意識の私(本物)が、自分の中で行き来していたのです。その通りでした。その時点で私が敏感であったなら、私はとっくの昔に狂っていたでしょう。過去そうであったように、己一番のエネルギーの大きさに、自分を飲み込ませ、そのエネルギーで自分をだめにしてしまっていたことでしょう。それでは今世の私の計画が頓挫してしまいます。まず必要だったのは、母の温もりを思い出すことでした。その土壌を自分の中で着実に育てていくのには時間が必要であって、その時はまだ時期尚早ということを、自分に伝えてくれていました。肉が鈍感であった時期が長かったけれど、私にはちょうどよかったのです。 そうして、時が経ち、一九九八年から一九九九年にかかる頃、やがてその頃には、鈍感な肉も徐々に敏感になり始め、全然動かなかった肉体が自分の中のエネルギーに突き動かされていく様を、セミナー会場で存分に感じられるまでになりました。セミナーもやがて、チャネラーがチャネリングをするという形から、みんながチャネラーだということで、形を変えてのチャネリング、いわゆる「闇出し現象」が主流になってきていました。そこでは、田池留吉氏による「指差し」というものが行われていました。それは、それぞれセミナーに参加しているみんなが自分の中に培ってきたマイナスのエネルギーを、自分の肉体を通して体験していく勉強であり、それがセミナーの中心になっていました。どうして田池留吉氏に指を指されてこうも反応していくのか不思議でした。言葉もなく何もないのに、自分の身体が勝手に飛び跳ねて転げ回るんです。しかも心から出る思いは、「くそったれ」ばかりでした。母の意識と繋がれたり、他の人の意識と繋がれたり、私は様々なチャンスをもらいました。数え切れないほど体験させてもらいました。もちろん、田池留吉氏に歯向かうエネルギーの凄まじさは超一流でした。すごかったです。腸が煮えくり返るほどの思いを感じてきました。セミナー会場におけるあの目が大嫌いでした。何もかも見透かされている、そんな思いを強く感じて、反発、反発の連続でした。「くそったれ、お前なんか消え失せろ」「お前は目障りだ」「お前を殺してやる」散々この口からも罵声を浴びせかけました。やがて、私の思いは、実は罵声とは裏腹で、それは喜びの雄叫びだと心に強く感じながら、私は文字通り反省と瞑想を、セミナー会場の中でやり続けていくという幸運に恵まれました。その心の体験は、筆舌に尽くせないほどの喜びです。思いが身体中を駆け巡り、腹の底から噴き上がってくる感じで、私の肉体など吹っ飛んでいました。肉の頭などでは到底理解できない体験を重ねていったのです。まさに心で分かる学び、心でしか分からない学び、本当にそうでした。 田池留吉氏に歯向かうエネルギーのすごさを、自分の肉体を通して実感する体験を重ねることによって、私自身何に気付いていったかと言うと、私が学びに集う前に心につかんできたある宗教団体の教祖の存在の小ささでした。まさに肉の次元で心にとらえてきたその存在は、私の中で芥子粒のように小さくなっていました。それは、田池留吉氏の意識の世界そして自分の意識の世界の大きさを垣間見ることによって、私の心の中ではっきりとしてきました。その教祖に魅せられたパワーというものは全く間違っていた、真実の世界からくるパワーとは全く次元が違うものであったことを、私の心はとらえていったのです。私の肉の頭ではなくて、私の心がとらえていったから、私は本当にそこで心の底から懺悔の思いを感じてきました。全然違う世界の中で、全く間違った世界の中で、私自身がずっと存在してきたことに気付いていったのです。懺悔しかありませんでした。なぜならば心につかんできたものは、ちっぽけな自分自身だったからです。私は自分というものを本当に小さく小さくとらえてきたことを、心で知りました。 鈍感な肉が敏感になるように、鈍感な肉がそこへ行き着くまで、様々な試行がセミナー会場で繰り返されました。手を変え品を変え、見ようによっては、私は田池留吉氏に育てられたと映ったかもしれません。田池留吉氏が私を発掘して大切に育てたと思われた方もあるように聞いていますが、それは全く見当違いで、多分に穿った目で見られていたと思います。確かに田池留吉氏は、セミナーに集ってくる人の中に、必ず目覚める人が一人はいると信じていたことには違いないけれども、私に白羽の矢が立ったということではありません。私は私自身の思い、その決意があって、今世生まれてきたのです。そして、私なりに色々とあって、ようやくその決意を自分の中で自覚するに至ったということでした。だから田池留吉氏に、素直に反応していったのです。 これこそ私が探し求め続けてきた道だと、私自身心で知ったから、私は自分だけを見つめてきました。自分に巡ってきたチャンスを無駄にしたくはありませんでした。チャンスはみんなに公平に平等にあり、田池留吉氏はそれぞれの肉、一人ひとりを見ていたのではなく、意識の世界からすべてを感じていたということでしょう。立っている場が違っていました。そして、そういう人達が、自分の立っている場を確認するために、素直になって自分の心を見ていかれたなら、もっと様子は変わっていたと思いますが、残念ながら心は中に行かずに外に向いてしまったのです。 ちょうどその頃二〇〇〇年くらいから、田池留吉氏が「反省と瞑想の時間ですよ」というタイトルのホームページを初めて立ち上げました。それから、私はセミナーとそのホームページの二本立てで、まさに自分が本当に望んでいた通りの道筋を歩いていきました。つまり、「アルバート」と出会うシナリオを現実のものとしていったのです。私が最初に「アルバート」の波動に少し触れたのは、二〇〇〇年一月だと思っています。それ以降、「Fさんの反省」、その他ホームページ上で、私自身、実にたくさん学ばせてもらいました。 父の病気と真実への道 そういう状況が整う中、私自身の意識の目覚めに必要な局面が、さらに私を待ってくれていました。 長年、父の鬱病に苦しんできた私達親子でした。しかし、その鬱病の状態も、父自身の定年時期をまだ何年か残しての退職を機に、年々その頻度も少なく、また程度も軽くなってきていました。そういうことでは、職場のストレスと人間関係の煩わしさという外的要因のようですが、それはあくまで表面的なことです。その根本は、本当の意識の世界を知らなかったことにありました。そういう日々の中で、新たな展開があったのが、二〇〇〇年六月でした。それはまたしても父であり、父の病気でした。数年前に大腸ガンと診断されて、腸の切除手術を受けたその再発が二〇〇〇年六月でした。それから二〇〇一年一月に父が死去するに至る時間、つまり心が敏感になり出した一九九九年後半からそこへ至る時間が、私の第二のターニングポイントでした。七年前の夫の発病と死の現象が、針の向け先を変えるためのポイントであるなら、この父の死は、その向いた針の方向をきっちりと定めるために必要な現象でした。 二〇〇〇年六月に病気が再発し、二週間ばかりの入院治療を終えて退院してきた父に、私は一枚の手紙を手渡しました。さらに父とともに学ばせていただく勉強が、この手紙から始まったと私は感じています。そこで、その手紙と、父が肉を置いていった時までの約半年間の中で、当時父とともに学んでいた時に綴った私自身の思い等の中からいくつかと、さらに父の遺文を掲載させていただきたいと思います。 なお、以下の反省文等の中には、田池留吉という呼称が頻繁に出てきます。心を田池留吉に向ける、合わせる、田池留吉が自分の本当の心だ、私は田池留吉です、田池留吉を伝える、等々このような表現に少々引っかかりがあるかと思われますが、ここで言う田池留吉とは、田池留吉氏が伝えてくれた波動の世界のことです。それは、肉の田池留吉を通して伝えられた真実の世界を言います。その世界に心を向けるとか、その世界と出会うとか、その世界を信じていくとか、そういうふうに解釈してください。 (二〇〇〇年七月二日) ― お父さんへ ― 退院できてよかったね。 今私が思っていることを率直に言います。お父さんにはお父さんの思いがあると思いますが、一応読んでください。 パンフレットなどを一応目にしてくれたと思うけど、田池先生が伝えてくれていることは、「私達の本当の姿はこの肉体ではなく、意識です。私達は永遠に生き続ける命です」ということです。私はこのことをただの知識ではなく、実践を通してこの心で学んでいくためのひとつの教材が、今回のお父さんの病気だと思っています。肉体をはじめ目に見える世界を現実の世界だとして、幸せを求め続けてきた私の意識は、お父さんを、お母さんを、そしてシンちゃん(愛犬)を肉体として認識しています。その思いがすべて間違っていたと私自身が気付き、心の転回を促されているのだと思っています。「死」を忌み嫌うのではなく、淡々と受け止めていける心、「死」もまた喜びで、「お母さん、私を生んでくれてありがとう。私、生まれてこれてよかった」ってそんな心で自分の「死」を迎えられたらと思っています。 今世、私はお父さん、お母さんとの縁生の繋がりにより、こうして肉体を持たせていただきました。そしてようやく真実に目覚める機会を頂きました。ありがとうございます。ともにともに学んでいきましょう。神に帰る道が喜びの道でした。私はこれよりただ神の子の道を歩いてまいります。道しるべに従ってまっすぐに歩いてまいります。お父さん、お母さん、ありがとう。嬉しいです。 (二〇〇〇年七月六日) ― 私の思い ― 肉って何だろうと思います。肉体があるから色々な思いを出していることが分かります。そして、本当に肉が自分だと、それがなければ存在しないと、死ねば終わりだとずっと思い続けてきました。形があれば存在を確認できるが、形がなければ何もないのだと、本当に肉、肉、の世界で生き続けてきたことが分かります。私の心に伝わってくるものは、肉を基準に何の疑いもなく生き続けてきた私の過去の思いばかりです。そのひとつひとつに伝えていくことが、今世生まれてきた私の仕事です。肉をしっかりと握ってきたから苦しかったって、死ぬことが恐怖であり、自分の存在がなくなると思ってきたことが間違いだったって、私が私に伝えていかなければなりません。それが優しさなのだと思います。自分を愛するということは、本当の自分の存在をこの心で信じていくことだと思います。今まで肉を自分だとしてただひたすら肉の人生によかれと思ってやってきたことが、実は自分にとって一番冷たいことだったって思います。この心の中で生き続けている私、苦しみ続けている私に、いっしょに歩いていこうって自分に思いを向けていくことをやっていきます。 (二〇〇〇年七月七日) ― 父に思いを向けました ― 人として、一人の人間として真っ当に生きてきたと思ってきました。己高し己偉しの心を、私は使っていることさえ気付かずに来ました。今ここに来てようやくその思いが、私が使ってきた思いが、すべて大変なエネルギーであり、すべてが狂っているということに気付かせていただいております。しかし私が培ってきた心、神を求めてきた私の思いは、そう簡単に心から離すことはできません。私は神を求めてまいりました。数え切れないほどの転生の中で、私は神を求めてきた者でございます。今世もたくさんの書物より何とか真実に目覚めたいと思い、私なりにこの浮世の世界とかけ離れた世界を心に描いてきました。そこにはたくさんの人を見下げ、己は素晴らしい者として、その心のままで己の中に神を見出そうと心を傾けてきました。    私は母を見下げてきました。母に甘えることをしてきませんでした。母に寂しい思いさえもぶつけることができずに、自分の殻に閉じこもってきたのです。母に飛び込んでいけない心を抱えたまま、成長していきました。己という殻を破ることをしないで、今までの年月を重ねてまいりました。我が心に神、仏があると私は思っています。しかしその神、仏の実体が私には分からないのです。私が求め追い続けてきた神、仏を私に教えてほしいと思います。ただ、今は何となくこの思いを言えたということでホッとしています。 ― 私の思い ― 私は父をやはり肉としてとらえています。だけど何とはなしに語っている父に、自分の思いが重なります。私と同じ心を使っている、だからそれは父とか私とか区別できないと思いました。私は父を通して、自分の心に培ってきた思いを、まさしく教えてもらっているのだと思います。私が求めてきた神が間違ってきたということです。父と意識の中で私はいっしょに学んでいくのだと思います。 (二〇〇〇年八月三日) ― 私の思い ― 今日仕事から帰った時、家の外で父と犬がちょこんと並んで座っていました。その光景が今瞑想している時に浮かんできました。「優しい人になってね、待ってるよ」ってとても優しい思いが伝わってきました。形で見たら父と犬は夕涼みをしていただけです。でも意識はいつもそうやって優しい波動を伝え続けてくれているのだなあと思いました。私はいっぱいの愛をもらっているのです。でもそのことになかなか気付けない、もっともっととこの心でたくさん望んできました。小さい頃、両手におやつを持っているから、どちらか片一方をあげてねって言われても、絶対両手に持たないと気がすまない子供だったそうです。あっても、あっても欲しい、「もっとちょうだい、もっと私に」と欲だらけの心でずっときました。両手に抱え込んだその隙間から、すべり落ちるくらいにいっぱいあっても、もっともらうことを望んできました。 (二〇〇〇年十月二十六日) ―私の思い― 今世の父は、私にとって母と同じかそれ以上に私の心を見る上でその比重は大きいと思います。いつも父の言葉、態度、そして顔色を窺って心をビクビクさせていました。父の持病がそうさせるのだと何度もそう自分に言い聞かせてきました。元気な時のお父さんが本当のお父さんなんだとそう言い聞かせてきました。しかし心の中で何度も父を呪い、殺してきました。今再びその思いが私の中で蘇ります。精神的に不安定な父を目の当たりにして、その時の私の心の苦しさが響いてきます。心がビクビクして父の一挙手一投足に心が一喜一憂していた時の苦しさが思い出されました。思い出したくない、触れたくない思いでした。だけど父は今、肉の命ぎりぎりのところで、もう一度その心と出会ってくださいと言ってくれているような気がします。父に思いを向けると、申し訳なかった、申し訳なかったと懺悔の思いが伝わってくるのです。肉を見ていては本当に意識の温かさが分かりませんでした。父から伝わってくる思いは優しい思いでした。そして寂しい、寂しいって訴えていました。私も父もいっしょなんだと思いました。父の肉はこれまでに何度も心を見る大きな教材を与えてくれていました。その肉を使って自分もそうですが、私や母に心の間違いに気付いてほしいと、いつも一生懸命訴えてきてくれている肉です。その父を思うと、今世の母と同様に、この父との意識の繋がりも深いものだと痛感しています。 (二〇〇〇年十月二十八日) ― 私の思い ― 現実に死を身近に考えざるを得ない状況にあります。死ということについて、思いを向けるということは、この心の中に溜め込んできた一番の間違い、肉が自分だという思いに行き当たります。その壁にぶつかります。私の心の中の一番の障害に出くわすのです。意識か肉か、そしてその心の転回を余儀なくさせられる現象を、今まさに迎えようとしています。私がこの学びに入るきっかけも人の死でした。肉の思いの強い私に私が出すハードルです。過去すべては失敗に終わりました。そのハードルは高く、高く私の心の中には映っています。しかし、そのハードルは飛び越えることが可能だということを、今世学んでいます。死は恐怖でも悲しみでもないということを私のこの心で分かっていくことが、本当に私の心を救うものだと思っています。そのためにどうすればいいのか、ただ私は私の心を信じていくだけでした。この心で感じた温もりを、自分の心の中に広げていくだけでした。田池留吉に思いを向けた時の安らぎ温かさそして優しい心、本当の私はこの心だと、そう信じていける信を膨らませていくだけでした。肉にとらわれている心の転回を、この現象を通して学んでいきたいと思います。今世ありがとう、また来世よろしくねという明るい気持ちで、いっしょに学んでいきたいと思います。 ― 本当の私からのメッセージ ― 肉を心から離すそのお勉強をいっしょにしていきましょう。肉を掴んでいては、私達の心は苦しみだけです。死ぬのは怖いですか。何度も何度も死を体験してきたのです。私達の心の中にはたくさんの死を恐怖する心があります。過去世達はみんな肉体を亡くすことを一番恐怖してきました。死んでからの自分の世界がどれほどの世界であるか、この心で知っているからです。肉体を持って生きているという現実の中では、実際自分の死を身近に本当に自分のこととして、なかなかとらえられません。ふっとそこから気を逸らしていってしまうのです。見たくない、考えたくないと、先送りしていくのです。今しっかりとあなたの死をもう一度あなたの心で思ってください。意識です。あなたの本当の姿は意識です。それは紛れもない事実です。真実です。それだけが唯一の真実なのです。自分が肉だという思いを、ずっとずっとその心に抱えてきました。何度死んで何度生まれてきてもずっとその心でいたのです。だから自分が肉だと思っている思いは、あなたの心の中でこびりついているのです。しかしあなたはあなたの心を田池留吉に向けること、そして田池留吉が自分の本当の心だとその心で知っているのです。本当のあなたがいつも肉を自分だと思っているあなたに伝えているのです。それはあなたが目を閉じて心を田池留吉に合わせていくしか、そのことを感じる手立てはないのです。本当のあなたを信じてください。あなたはその肉があなたではないということを、私は本当にあなたの心で分かってほしいのです。そのために、あなたもあなたのお母さんもあなたのお父さんも、今世肉を頂いて、そして生まれてこれたのです。心を肉から離すことをあなたの心で学んでいってください。死は恐怖でも悲しみでもありません。死は喜びです。死はただ今世の肉を脱ぎ捨て、来世に繋いでいく準備なのです。死んでもあなたは存在します。あなたのお母さんもあなたのお父さんも存在します。心と心で語ってください。意識と意識で語り合ってください。お父さんに語りかけてください。あなたが感じた心の世界をあなたの言葉で、あなたの思いの中で、お父さんに語ってあげてください。でもそれはお父さんであってあなたでもあるのです。意識はひとつだからです。あなたがあなたの心で分かったことをただお伝えしていくのです。みんないっしょだった、みんなみんな、愛の中に生かされている幸せな存在であったということを、あなたの心から伝えてください。お父さんはきっと優しい優しいあなたを待っています。お父さんに優しく優しく語ってあげてください。伝えてあげてください。「お父さん、私達は意識です。私達は神に帰る神の子です」と。 (二〇〇〇年十一月一日) ― 私の思い ― 瀕死の状態であろうと思える肉体細胞に思いを向けてみました。伝わってくる思いはただただ嬉しい思いでした。ありがとう、ありがとうと喜んでいました。私達はこうやって愛を伝えていけることが、真実を伝えていけることが幸せですと伝わってきました。心臓が動いているのも、手足が動いているのも、みんなみんな当たり前でした。いつもいつも、そのひとつずつの肉体細胞が気付きを待ってくれているのだと思いました。心から出すエネルギーを受け続けてきてくれたのでした。この学びに繋がっていなければ、こんな優しい思いに触れることはなかったと思います。 (二〇〇〇年十一月二日) ― 私の思い ― 肉ですか、意識ですか。本当にどちらを信じていきますか。そう目の前に突きつけられている状態です。苦しみ抜いてきた意識が、互いに教材になっていっしょに学んでいっているような感じがします。肉体細胞に思いを向けた時、自分が出すエネルギーで、どれだけ痛めつけられて壊されていっても、ただ気付いてくれることを待ち続けてくれている優しさだけが伝わってきます。自分の肉体を守ることに汲々としている心では、そんな優しさなんか全然感じられなかったと思います。なぜ肉体を持って生まれてきたのかということをすっかりと忘れて、その肉を誇り、大切にすることだけをしてきた自分の愚かさを、改めて感じます。過去世達の思いをこの心にいっぱい抱えて、私は生まれてきました。呪いや恨みや寂しさ悲しさを、受け止めてほしかったのです。 (二〇〇〇年十一月三日) ― 父に思いを向けました ― お母さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます。ありがとう、ありがとう。私は幸せです。私はあなたに生んでいただいて幸せです。懺悔です。懺悔です。私はこうして肉体を持たせていただいたのに、その意味を取り違えてきました。しかし私はここに来て自分が意識であることを伝えられました。自分の人生は本当に間違ってきたということが、この心で分かってとても嬉しいです。今、私は静かにこの肉を終えていきたいと思っています。この心に伝えてくれた温もりを、私は忘れずに来世へと繋いでいきたいと思っています。今世、肉の田池留吉と見えることはなかったけれど、私は来世、必ずあなたに出会えることができると信じています。ありがとう、ありがとう、みんなにありがとうの思いを伝えて、私はこの肉を終えていきたいと思っています。 (二〇〇〇年十一月五日) ― 本当の私からのメッセージ ― ありがとうの思いで、この肉を離していけたなら、それは最高に喜びではないですか。肉体細胞は最後の最後まであなたに愛を伝えています。すべてが愛の中に生かされています。私はあなたに今そうお伝えできることが幸せです。肉体を頂いて、私達はようやくこのように出会えることができました。私は私の仕事をして今世の肉を終えていきます。あなたもそうです。愛をその心から流し続けていくのです。私は田池留吉を信じています。そして、その私から流れる波動をあなたの心でどうぞどうぞしっかりと知ってください。愛あふれる人になってください。愛はすべてを癒していきます。喜びの波動はすべてを癒していきます。私は喜びです。田池留吉を心の底から信じている私は喜びです。 (二〇〇〇年十一月二十五日) ― 私の思い ― 私が一番分かっていませんでした。セミナーに何度も何度も集わせてもらって、そして現象の時間に自分のエネルギーを心で知る機会を与えられても、なお私は一番分かっていませんでした。父の肉にしがみついている私の心でした。父を肉として見て、意識というものは度外視していました。学びは学び、そしてこれはこれと、自分の中で器用に使い分けていました。私の本音は「お父さん、死なないで」でした。どうしてお父さんだけがこんなに早く死ななければならないのか、と私は父の肉にしがみついていました。そんな私に父は伝えてくれていました。「ありがとう、ありがとう。私は嬉しいです。嬉しいです。あなた方と今世このように出会えて私はとても嬉しいです。どうぞ悲しまないでください。この肉は病んで、もうあとわずかです。でも私達はずっといっしょです。ずっとずっといっしょです。私は田池留吉でした。私は田池留吉でした。ありがとうございました」 何度もこの心で殺してきたけれど、そんな私に父は愛をくれました。私に教えてくれていました。私の心の中の闇を教えてくれた愛でした。そして今、父の肉は最後の最後まで私に伝えてくれています。「私達は意識です。私達は意識ですよ。ともにともに学んでいきましょう。私もあなたから、そしてあなたも私から学んでください。今世このように親子の縁を頂きました。私は、あなたから田池留吉を伝えていただきました。そして、私はこの肉を通してあなたに学んでいただきたいのです。私達は永遠に生きる存在であることを、しっかりとあなたの心で学んでいってください」 (二〇〇〇年十一月二十八日) ― 父の意識が語ってきます ― ありがとう、ありがとう、ありがとうの言葉を私はあなたに伝えたい。今世このようにして田池留吉と出会えたこと幸せでございます。私は来世、来世あなたと出会います。ああ、アルバート、アルバート、私はアメリカの地においてあなたをお待ちしております。この心を忘れずに、私は来世あなたと必ず出会います。ありがとう、ありがとう、嬉しいです。嬉しいです。 ― 私の思い ― 私は、ああ信じていきたいけれど、信じていきたいけれど、ああでもあなたを恨む思いが出てきます。私は意識を信じていませんでした。ごめんなさい。父の肉にしがみつくこの肉の思いが、苦しくて苦しくてなりません。 私を置いていかないで、私を置いていかないで。ひとりぼっちは嫌だ、ひとりぼっちは嫌だ、怖くて怖くて怖くてなりません。 肉で引き裂かれた恐怖そして悲しい思いが出てきました。心に抱え切れないほどの悲しみと、恐怖の思いがあります。今その思いが出てきました。死を恐れているのは私でした。肉の別れを嫌ってきたのは私でした。悲し過ぎる、寂し過ぎるその心の闇をしっかりとしっかりと握っています。だから生まれてくるのが嫌でした。また肉で別れなければならない時を迎えることが恐怖でした。この心を思い起こすことが嫌でした。でも田池留吉は喜びで受け入れていきなさいと伝えてくれています。あなたが意識であると信じるということはそういうことですよ、と伝えてくれています。 ― 田池留吉からのメッセージ ― あなたが生まれてこれたこと、お母さんがあなたをこの世に出してくれたこと、それはそれは大変な喜びなのですよ。肉として生き続けてきたあなたの心の中には、死を恐怖する心、そして死は悲しみだととらえる思いが、しっかりとあります。私は死もまた喜びであると伝えています。あなたが死を迎える時、その時あなたの心が何をつかんでいたのか、はっきりと見えてくるでしょう。肉を持っている間にしっかりと学んでください。私から流れる波動を、あなたの心で知っていってください。あなたの心を私に合わせることを実践していってください。 (二〇〇〇年十一月二十九日) ― 父とともに田池留吉に心を合わせます。父から思いが伝わってきます ― あなたには、本当の愛を知ってほしいと思っています。今私の肉体を通し、そして私の死に様を通してあなたの心で学んでほしいと思っています。ともに学ばせてください。あなたの心で分かったことを、私に伝えてください。私は今世間違った道を歩いてきました。田池留吉と出会うそのチャンスを与えられながら、己偉しの心で自分の信じる道を私は捨て切れなかった、それが残念でなりません。しかし私はあなたの心から流れてくる思い、波動を信じていきたいと思っています。どうぞ私に伝えてください。この愚かな父に伝えてください。 ― 私の思い ― 私は何も分かっていませんでした。何も自分の心に伝えていませんでした。父はそのことを私に教えてくれているのだと思います。田池留吉に心を合わせるだけでした。私はこの学びの原点を忘れていたように思います。自分を信じていきます。私が田池留吉であるという信を深めていくことがすべてだったのです。 私はこの心で知っています。来世私はあなたと出会います。そして今世学んだことを私は必ず来世へ繋いでいきます。私は意識でしたと、この肉の思いを緩めていくことを約束したのでした。来世アメリカの地においてアルバートと出会います。私はあなたと必ず必ず出会います。 私はあなたの未来の意識、私達はいつもいっしょでした。あなたとともに私達はいつもいっしょです。未来へと、未来へと、私の心は広がっていきます。この宇宙の中で、私の意識はどこまでもどこまでも広がっていきます。この心からあふれる喜びの思いをあなたに伝えていきたいです。 ― 田池留吉からのメッセージ ― 今世、田池留吉は肉を持ちました。すべての意識が目覚めるために、あなた方の目の前に肉を持ちました。そして私のほうに心を向けてくださいと伝えました。私から流れる波動を知ってくださいと伝えました。喜びの波動を流し始めた方が、少しずつ少しずつ増えてまいりました。これからすべてが始まります。宇宙が変わってまいります。私田池留吉の波動に目覚めた意識が、宇宙を変えていきます。もう言葉はいりません。ただ心と心が通じ合う世界が広がっていきます。 (二〇〇〇年十二月一日) ― 私の思い ― 私は田池留吉と出会うために生まれてきました。今世、田池留吉と出会うために生まれてきました。お父さん、お母さん、ありがとうございます。私は私の願い通りに田池留吉と出会い、そして真実に目覚めるためにたくさんの愛を頂いております。ともにともに帰る意識でございました。とてもとても嬉しいです。こんなにも愛され、こんなにも許されていたことが、やっとこの心で信じられるようになりました。田池留吉、ありがとうございます。私はあなたを信じ、そして自分の過去世を受け入れてまいります。未来は今の私でした。過去もすべてすべて私とともにありました。私は本当に幸せです。田池留吉と出会えたことがとてもとても嬉しいです。もう何もいりません。私は私が決めてきた道を、ただひたすら歩いていくだけです。私の心の中の田池留吉と、そしてアルバートとともに歩いていきます。私はあなたを信じて信じてまいります。私は、遠い過去より自分の心を捨ててきました。田池留吉もお母さんもすべて捨て去りました。温もりを捨てたのは私でした。申し訳ありません。申し訳ありません。あなたはずっとずっと私とともにいてくださいました。私はあなたをどれだけの思いで、捨て去り殺してきたのでしょうか。しかしあなたは変わることなく私に愛を愛の心を思い出してくださいと伝えてくれました。私達はいつもいっしょですよ、私とあなたはひとつですよ、と変わることなく抱きしめてもらっていました。心を広げてまいります。あなたに伝えてもらったこの心を信じてまいります。私はずっとずっとあなたといっしょであったことを、信じていける私は今、幸せです。 (二〇〇〇年十二月二日) ― 父の意識が語ってきました ― 今一番幸せで、穏やかな時を送らせてもらっているのではないでしょうか。現実は大変な状態です。しかし私にとっては今が一番幸せな時なのです。心が穏やかです。そしてこの肉体細胞は、最後まで私を支えてくれています。私に愛のエネルギーを流し続けてくれています。みんながそうでした。私の周りの者達はみんなが愛でした。私はそのことにようやく気付き始めています。私は今幸せです。長き転生にわたって、私はずっと神を求め続けてまいりました。神、仏の世界を私は極めていきたかったのです。どんなに求めても求めても、私は悟りを開くことなどできませんでした。この心に残るものは、己を責める思いでした。そして孤独の世界でじっと己の心を閉ざしたままの意識でございました。私はすべてのものを下に見ておりました。常に常に私が上にありました。お母さん、許してください。私はあなたを見下げて見下げてまいりました。母の温もりに私は気付くことなく、己の世界だけに閉じこもった意識でございました。母はいつも私に伝えてくれていました。優しい温もりの心で私を包んでいてくれました。私は妻にその温もりを求めてまいりました。あなたの優しさに私は縋っていきたかったのです。でもあなただって、とてもとても私は寂しい、と訴えておりました。私達は今世お互いにその心を見て修正するために、夫婦の縁を結ばせてもらいました。あなたには大変お世話になりました。あなたにとって私という存在は、大変大変やっかいな存在であったと思います。私はあなたにとって何一ついい夫ではなかった、夫らしきことは何もしてやれなかったと思っています。でも私はあなたと出会い、こうして夫婦でいられたことがとてもとても嬉しいです。子供達もすくすくと成長してくれました。そしてこの年になって、ようやく私は私の間違いに気付くことができたことがとても嬉しいのです。自分のこの肉体から私は自分の流してきたエネルギーを教えてもらっています。後はただ一日一日を大切に、あなた方と過ごせることを私は願っています。あなた方の学び、そして田池留吉という存在は私が探し求め続けてきたことを、伝えてくれているように思います。それが真実だと私は今、思っています。私に許されている時間、ともにともに学んでいきたいと思っています。そして、また来世あなた方と出会えることを、私は楽しみにしています。 (二〇〇〇年十二月四日) ― 父の遺文より ― 以下の文章は、父がその日から、痛み止めの少しきつい薬を飲むので、頭がハッキリしているうちに今の自分の心境を書くと言って、食卓の上でさらさらと書いたものです。この一カ月後に父は入院しました。 あと何日間で、入院生活、そして来世への「旅立ち」を控えたこの時期に、先の『遺言状』とは別様の「遺文」を一文草します。 過去四十年間を回想して、全く不良な夫であり、父親であったことを反省して、それを〈バネ〉として、残りの今世の生活を、人間として純粋な思いで、家族と接することのできることは幸福です。 人間は綜合的な「愛」に見守られて生きているということを認識することができ、そういう心境で、静かに『死期』を迎えられることは、自分という人間がなんという幸せだろうとつくづく感じ、この思いをしっかりと最後のある時間まで持続したいというのが、ただ一つの願望です。 自分という人間の所有している「業」の深さ、大きさを、一片でも除去できるように精進したいという思いで生活していきます。 来世に家族(もちろん〈シン〉を含めて)に再会する歓びを味わいたいとも思っています。 私が去ったあとの人生は、くれぐれも細心の注意を払って、自分の『学びの世界』に進んでいってください。 喜びの意味を深く込めて、「ありがとう、さようなら」で一文を結びます。 平成十二年十二月四日 午前十一時五十分 父が、このような遺文を綴ったということは、父は自分の病気を通して、その肉体生命が閉じるまで、自分自身と確かに向かい合っていたのだと思います。私と母が集っていたセミナーには、一度も参加することがなかった父でしたが、この学びは本当のことを自分達に伝えてくれていることを、父は心に感じていたと思います。 父は、まだ体力が残されている時に、身辺整理をほとんど済ませていました。そして自分の息子と自分の兄弟に、自分には葬儀や仏事は一切必要ないということを、父自ら告げたのでした。それは、父自身が退院から約半年間の時間の中で、何かを感じ取った証だと私は思っています。葬儀やそれ以後の仏事が必要ないことを、心で知ったのだと思います。もちろん、私達親子三人は、父の遺志を受けて、通夜も葬式も全くの身内、私と母と弟とその家族の数人で済ませました。 (二〇〇〇年十二月十八日) ― 私の思 い― 昨日から今日にかけて目を閉じたら、なぜだかよく涙が出ます。飛び跳ねるような嬉しさではないけど、何だかとても嬉しいです。ただありがとうの思いしか出てこないのです。そんな中で父に思いが行きます。お父さん、ありがとうね。お父さん、ありがとう。たくさんの闇の思いを出させてくれた、父からたくさんのことを伝えてもらいました。父はその肉体を通して、私に何度も何度も気付きを与えてくれました。父の病気を呪って、そして父を呪ってきた私の心にも、今はただお父さん、ありがとうの思いしかありません。私は父を呪い恨んできたけれど、やっぱり父が大好きです。父にも母にも長生きしてもらいたい肉の思いが、たくさん出ます。父の肉体細胞に思いが行きます。ただただ愛を伝えてくれている、ただただ私達に時間をくれている、劇薬にじっと耐えてくれている、本当にありがとうでした。 学んでください、ともに学んでいってください。私は今世あなたと親子の縁を結ばせてもらいました。すべては私達意識が計画してきたことでした。本当の自分に目覚めるための道筋です。ただただ喜んで進んでいってください。ともに学ぶために私は今存在しています。 過去にそれこそ筆舌に尽くせない思いを出し、残忍極まりないことを繰り返してきた、そんな中で誰にも許してもらえないし、また決して許さない、そんな心でずっと来たのだと思います。でもそのどんな時も、変わらずにずっと流れていたものがあったのですね。私という存在を支えてくれているエネルギーがあったのですね。その中で生かされているということを、すっかりと忘れてしまったから、すべてが狂ってきたのだと思いました。 今世、田池留吉と出会えました。私は喜んでいます。父にも母にも本当にありがとうございましたとしかありません。私との約束を守ってくれた、私を信じてくれた、その思いが嬉しかったのです。田池留吉と出会うために、肉体を持たせていただきました。この日本の国で、私は田池留吉と出会うことをこの心で知っておりました。それは私が私に与えたシナリオでした。これからも真実に目覚めるために、たくさんのシナリオを私は書きました。この心に書きました。だから何も恨むことはなかったのです。すべては、自分が真実に目覚めるために書いた筋書き通りだからです。長い長い旅を続けてきました。ひとりぼっちの寂しくて苦しい旅でした。でもこれからは少し違います。いつもいっしょだよって言ってくれました。私はやっとそのことが信じられるようになりました。嬉しいです。ともに歩いていけると思えたら、とても嬉しいです。 (二〇〇一年一月十四日 亡くなる一日前) ― 私の思い ― 現実に今、父を目の前にしています。頬の肉も落ち腕の筋肉も落ち、背骨もくっきりと出て、目だけが大きくなりました。口にできるものも重湯だけで、薬さえも受け付けなくなり、座薬になりました。それでもまだ頭ははっきりしていて実際話ししたりできるから、まだ私の心には余裕があります。実際その場面に立ち会わなければ、どのような心が出てくるのか分かりませんが、父を思い、父の肉体細胞に思いを向けた時、ここまでよく頑張ってくれたねという思いが出てくるのです。父がこの病を得て、ほんの僅かでも田池留吉のほうに向いてくれたことが、私には嬉しいです。執着は私の中にはたくさんあります。長生きしてほしい、その思いはありますが、果たしてそれもたとえば、父や母が長患いで手がかかるような状態であれば、それと反対の思いが出てくるかもしれません。それもこれも私の中に真実を、本当の自分をしっかりと確信できれば、どんな場面に出くわそうと自分を見失うことはないと思っています。人の死、そして自分の死を迎える時が一番学べる時ですね。死んだら嫌だと叫ぶ心、死ぬのは嫌だと叫ぶ心、そしてありがとうと肉体を離していける心、すべてすべてどのような心でいるかは、肉体を持っている間に、本当にアルバートの波動をしっかりと感じ信じていくかにかかっています。 (二〇〇一年一月十五日未明、父死亡) (二〇〇一年二月八日) ― 父が書いた遺文を目にするたびに、父のことが思い出されます ― お父さん、お父さん、私はあなたの娘であったことを本当に誇りに思っています。あなたには私の暗い暗い心をたくさん出させてもらいました。「気付きなさい」とあなたの肉は、私に愛を流してくれていました。あなたは私にとって、かけがえのない人でした。あなたから頂いたこの心を、私は大切に育てていきたいと思っています。 あなたを憎み呪う思いを、あなたに向けて出し続け、あなたを何度も何度も殺し続けてきました。そんな私の思いを、すべて抱きしめ、すべて受け止めてくれた人でした。自分のその肉体の終える苦しさ、不安を私達にはできるだけ感じさせまいと思い、必死で自分の死と向かい合い、そして自分の死を喜びの心で受け止めていける心境にあなたはなられました。私はあなたのその姿、その思いに脱帽しました。あなたのお陰で、私はやっとこの学びを真剣にとらえ、心の転回を大きくさせてもらったように思います。 あなたはよく「人間は自分の死ぬ時にその人の人生が決まる」と言ってこられました。みんな私達はいずれ、この肉体を脱がなければならない時期がやってきます。それぞれが自分の意識の世界へ戻っていきます。今あなたに私はお伝えしたいのです。「私達は意識です。喜びの思いが本来の私達の姿です」と。 私はあなたに本当の愛を伝えるために、こうして親子の縁を今世結ばせていただいたように思います。そして、あなたはそのお手伝いを、私にたくさんたくさんしてくれました。私達はお互いに気付き合い、そして真実に目覚めていくために、この世に肉体を持たせていただいた幸せな意識であることを、私はこの心でようやく知り始めました。お父さん、今世親子の縁を持たせてもらって、私はとても幸せでした。あなたの心を私は忘れません。肉体を終えても、なおこのようにあなたと語り合える私は、とても幸せです。私達は意識でした。永遠に存在する生命、喜びの存在であることを、私はあなたにお伝えしたいと思っています。ともにともに学んでいきましょう。私に愛をたくさんたくさん投げかけてくださって、本当にありがとうございました。私もこの肉体を脱ぎ捨てる時、「肉体細胞よ、ありがとう。みんなみんなありがとう」と言ってその思いを心に抱いて、この肉を静かに終えていきたいと思っています。どのような死を迎えるか私にはまだまだ分かりません。しかし、この学びを進めていく中で、自分の死を見つめ、喜びの人生を歩いていきたいと思っています。お父さん、今世ありがとうございました。 このようにして、私は父の意識とともに学ばせていただきました。人は死ということに、真向かいになって初めて自分を振り返ると思います。父の現象は、自分の中に確かに芽生えていっている真実への道を、自分自身さらに確実なものにするためのものであったと私は理解しています。 父の意識とともに学ばせていただいた数カ月間は、私自身にとって、大変大きな意味合いがありました。それは、肉という器を持っている私達人間にとって、その器の意味とは何かということ、そして器を捨てた時その中身がどんな状態であるのかということ、そういったことが、器を持っている間に自分の心で知っていくことの大切さを、しっかりと心で感じられた現象だったのです。 さらに、父が肉を脱ぎ捨ててから、棺に納められ荼毘に付されるまでの間に、私を通して語ってくれた父の意識は、私自身に大きな衝撃を与えました。まさに、それは私が意識の転回の緒についた現象となりました。「人間は意識だ」、死んで数時間しか経っていない父に思いを向けることで、私の心はそうはっきりと感じました。同時に自分の学びに対する姿勢も甘かったと思わざるを得ませんでした。 肉を本物とする思いからは、死というものは非常に重い現象です。死を忌み嫌う心があり、絶えず先送りにしたい思いがあります。しかし、必ずみんな死の瞬間を迎えます。その現象を通して、自分の心に湧いて出てくる思いとしっかりと真向かいになってこそ、自分自身がまた肉を持ってきた意味とか大切さ、喜び、幸せを心の底から味わえるのではないでしょうか。 「人間はその肉体ではない。私達は肉体という器を持ってきただけで、器が壊れていくことが私達の消滅にはならない」私は、このことを実生活の中で知っていきたかったのです。だから私は、セミナー開催中に、自分の身近な人の死に立ち会うことを予定して、その現象とともに学ぶ手はずになっていたのだと思います。設定通り、現象より学ばせていただく喜びを存分に感じさせてもらいました。父の病気とその死に至る時間は、私にとってまさにそうでした。肉体細胞の不都合から、病んで朽ち果てていく肉体細胞から、一体何を感じ学んでいくのか、七年前にはその余裕などなかった私ですが、この現象においては、死と真向かいになろうと自分の中では必死だったと思います。命乞いばかりに心を使っていっては、その大切な時間は、苦しみしか味わえません。死を間近にしながら、生まれてきたことへの感謝を感じていく術は、ひたすら意識の転回に専心することだと思いました。 当時、私は自分の中に蓄えてきたエネルギーを、ようやく自分の肉体を通して、存分に感じていくことができる状態になっていました。それは、「くそったれ」「殺してやる」というエネルギーを出せば出すほど、その凄まじいエネルギーの奥底には、温かい本当の優しさ、温もりが現存している、そしてそれが本当の私自身なのだと心に響いてくる状態です。本当の優しさとは何か、本当の温もりとは何か、私の心はそういうものを確実にとらえていったのだと思います。父自身、自分の死期が迫っていることを感じる中において、そのような私の変化を敏感に感じ取っていたのではないかと思います。 「あのプライドが高かった娘が変わりました」と、父は自分の心からの嬉しさを、一枚の手紙に簡単に綴って、とある夏の日に田池留吉氏に送りました。まだ会ったことのない人に、父は数行の手紙を送ったのです。もちろん、父は手紙を送ったことは告げましたが、何を書いて送ったのかを私と母が知ったのは、田池留吉氏からでした。 そして、この娘を変えた田池留吉氏にお会いして一言お礼を申し上げたいという父の思いは、田池留吉氏に伝わっておりましたが、それも結局は、父の身体の調子から実現しませんでした。 「こちらから希望したのにも関わらずに、こちらの都合でお約束を果たせませんでした。申し訳ありませんでした」と、父は電話を通じて、そのように田池留吉氏と短いやり取りがあっただけでした。 おそらく、父の意識の世界が真実の方向に少し動き始めたから、そういう一連のことがあったのでしょう。そして、そういうことがあったから、また父の意識の世界は動き、それが二〇〇〇年十二月四日付けの父が記した手紙となりました。その遺文により、死に至るまで父なりに学んでいたことは確かだと思います。それが父の今世のシナリオでした。真実の方向へ歩いていくために必要なシナリオだったと私は思っています。 日々の生活の中で、無為に過ごしても、また肉の喜びと楽しみだけを追い求めていっても、誰も何も咎めません。しかし、みんな心の底での疼きはあると思います。その疼きが、日々の生活の中で具体的な形となって現れてきます。事件、事故、病気、その他様々なルートで疼いてきます。その実態が何なのかそれが分からないから、人生の終焉までその疼きを抱え、結局は自分を偽って人生は閉じられていきます。 私は、今世の時間に、その疼きを自分の中で解明しました。それは、私自身、本当の自分と出会いたかったという思いが大変強かったからです。疼きが、鬱病の父を持ち、大学受験失敗から結婚に至る時間を経て、若くして夫を亡くし、そして田池留吉氏との出会いとセミナー参加、そして父の死を起こしました。どれもこれも何の狂いもなく、配置されてきた私の駒と私の持ち時間です。 これは、一人私だけではありません。どの方もそれぞれに自分の持ち駒と持ち時間があります。そしてそれは全部狂うことなく配置されているのです。ただし、その価値に気が付かずに通り過ぎてしまう場合はあります。どの駒もみんな何かを告げてくれているのだけれど、悲しいかな、肉を本物とする意識は、とても偉いのです。だから自分へのメッセージとして、素直に真っ直ぐに受け取ることができません。余程の警笛が鳴らない限り、真実に目を向けるということは難しくなりました。肉を信じる思いが、持ち駒と持ち時間を無駄に使ってしまいます。自分が用意してきた持ち駒と持ち時間を使って、自分がどのように成長を遂げていくか、それがそれぞれの人生だと私は思っています。成長を遂げていくというのは、立派な人物になったり、財を成したりという意味ではなく、生まれてきた本当の意味を知っていく自分に生まれ変わることだと思うのです。 たとえば、世間一般に向けて、「自分を語ってください」と言えば、おそらく全員の方が、自分の生い立ちから今現在に至るまでの自分の軌跡を述べられ、後はそれぞれ今こんなことを思っているとか、こんなことに夢を抱いて頑張っているとか、そういうことを述べられるでしょう。しかし、結論的に言えば、そういうものをどれだけ並べても、自分を語っていることにはならないのす。生い立ちやら境遇、家族や仕事、夢などは、その人を修飾するものにすぎません。修飾部分をどんなに語っても、その人の核心に触れることはないのです。それらはみんな影であり、影をいくら語っても影は影、消えてなくなるものだからです。 振り返るに、私の父は敏感な心を持って生まれてきました。そして、その敏感な心をどのように自分の中で処理していけばいいのか、その術が分からなかったから、世間で言う精神病のレッテルを貼られ、また自分自身もその敏感な心に振り回されていたにすぎなかったのです。 また、肉まみれの私は、まるで憑き物が憑いたような父の状態を嫌がって恐怖して、散々父そのものの存在を恨み殺してきました。父を通し、私自身のドロドロの意識の世界を学ばせていただいていたのに、悲しみと恨み、絶望感に暮れる日々を過ごしていたのです。そこから自分を解き放すことはなく、埋没する時間を送ってきました。すべては、肉を本物とする形の世界に生きているとしか思えなかった愚かな私の姿がそこにありました。 この世のどこかに必ず本当のことはある、真実を探し求める自らの心の声に、肉を自分だとする愚かな私が思いを向けるように設定してきたシナリオが、父の病気と死、そして夫との出会いと死でした。自分がこの世に生まれてきて、何をしなければならないのか、どのように生きていけば、自分は心の底から納得し満足するのか、徹底的に自分に問いただすチャンスを、自ら用意してきたのです。 肉の私は、悲しく辛く悩み嘆きの日々だったと回顧していますが、その思いによって、重く沈み込んでいない私自身を今、感じています。確かに記憶はあって払拭はできません。しかし、私は自分の歩みはこれでよかったと思っています。いいえ、全くシナリオ通りなんです。本当の自分に忠実に、誠実に歩いてくることができたことをただただ喜んでいます。この肉を自分だとして培ってきた数々の思いは無限にありますが、今は、それによって私は自分自身を責めようとも思わないし、自分はだめだとも思っていません。真実を知らなかっただけであって、その分、自分自身は地獄の奥底を這いずり回ってきました。そして、私は、今世の時間と空間の中で、意識の転回をやっていこうと決意して生まれてきたのです。母に産んでもらったのです。私は自分に忠実に誠実であっただけです。 予定通りのコースを歩き続け、これからもその歩みは淡々と続いていくでしょう。その過程で関わってきた意識達、父にしても母にしても夫にしても、だから私はありがとうしかないのです。真っ黒な私に出会わせていただきました。どれだけ死ね、死ね、お前なんか消え失せろと叫んできたことでしょうか。目の前の肉に向かって、私の過去からの思いすべてが、総出で叫んでいる意識の世界の現実を感じてきました。それは、とても言葉では表現できないものであり、本当に地獄の奥底から這い上がってきたのだと実感できました。そして、今は、真っ黒だから生まれてきた、生んでもらった、この喜びの雄叫びが心に響き渡っています。 選ばれた意識、特別な使命のある意識、私にはその思いは一切ありません。地獄の奥底から這い上がってきたのです。温もりを徹底的に否定してきました。温もりは、最後には自分を裏切ったからです。自分を地獄に突き落としたと、恨み骨髄に徹する思いを、私はずっと心に抱えていたように思います。しかし、それらはみんな肉を基盤とする温もりに過ぎませんでした。そういうことが、心が敏感になってくれば、心で感じ、心に見えてくることでした。そしてまた、田池留吉氏の肉は、真実を伝えるためにあるということもそうでした。だから、他の肉は目に入りませんでした。目指すは、田池留吉氏の肉でした。もちろん、心が本当に敏感になってくるということは、その肉を見ているようで見ていない状態になるということです。そして、田池留吉氏の肉、すなわちその姿を見ることにより、また発する音を耳にすることにより、そして極め付きは目を見ることにより、自分自身の意識の世界からどんどんエネルギーが噴き出してくることを、自分の肉体を通して感じていける、それが本当に心が敏感な状態だということだと私は思っています。 その敏感な心は、あなたは温もりですよ、あなたは喜びですよと伝わってくるのを、確実にとらえていくと思います。しかし、すぐにはそれを受け入れることなどできません。温もりを徹底的に否定、拒否してきた私は、田池留吉氏に対して、最後まで闘いを挑みました。田池留吉氏を見るたびに、「お前の目を抉ってやる」「お前の首を絞めてやる」このようなエネルギーが、自分の中からマグマのように噴き上がってくるのを、感じてきました。実際、私は田池留吉氏の首に自分の両手を置いて、その両方から首を絞めようとしたこともありました。実に腸が煮えくり返る、そのようなエネルギーの塊の私を数え切れないほど体験させてもらいました。 何とも不思議な話ですが、実は少しも不思議ではなかったのです。私自身がエネルギーだからです。そして、田池留吉氏もエネルギーでした。エネルギーがエネルギーに反応し、反発そしてやがては融合していく、その過程を私自身は、自分の心の中で歩んでまいりました。そして、まさにこのことこそ、私が待ち望んできたチャネリングでした。何かのお告げをする、何かを予言する、人の意識を読み取ることができる、そのようなものに飽き足りなくなっていた私自身が、この肉の殻を突き破った時に心で感じることができたもの、それをチャネリングと表現するならば、これこそが本物のチャネリングと言えると思います。そしてその世界こそが、本当に自分自身が出会いたかった世界だったということは言うまでもありませんでした。そして、今、私はその世界をアルバートだと確信しています。 自分の中に培ってきたエネルギーは、温もりをみんな否定してきたけれど、それは大きな間違いでした。私は温もり、私は喜びのエネルギー、そう思うことができる自分自身と出会った現実は、私の中で決して動かせないものだからです。 そして、私は今に至っています。 今、自分を語りなさいと言われるならば、私は地獄の奥底から生まれてきた意識であり、そしてまた、私はアルバートとともに歩いていく喜びの意識ですと、そのように淡々と語ることができます。しかし、それも語りなさいと言われたならばであって、普段の私は、何の変哲もなく普通の日常生活を過ごしています。淡々と過ごす時間の中で、何とも言えない喜びを感じています。それは、自分の本質は意識、永遠に続いていく時間の中で永遠に存在しているもの、その境地に到達することが本当の人生であると、私は確信しているからでしょう。さて、あなた自身は、どうでしょうか。あなたはどんな人生を歩いてこられましたか。そしてこれからどのように生きていかれますか。 田池留吉氏との出会いがすべてでした 一九九三年四月から二〇〇五年六月まで、約十二年余り私自身セミナー参加という形で、皆さんとともに学んでまいりました。そして、学び始めてからずっと、自分の中のテーマは「愛」と「死」であることだと思い続けてきました。それでは、チャネラー、チャネリング、過去世、を心はとらえなかったかと言うと、決してそうではなく、私もチャネラーになりたい、過去世を知りたいという欲の思いはありました。しかし、それらはみんな一過性のものでした。私の思いはもっと深いところにあることを、セミナーに参加するたびに感じていました。その思いは、学び始めてまもなくして、チャネリングと言われるものに飽き足りなくなっている自分を感じることで、段々に明らかになっていくようでした。 また、綴ってきましたように、私自身、大きな現象があるまでは、ずっと肉の力を信じてきましたので、学びに集っても、なかなか肉の固い殻を破ることができずに、心が鈍感な状態が続いていました。しかし、自分の中から出てくるものを信じたい、自分の中で感じることができたものだけを信じていこう、それは最初から自分の中ではっきりしていました。だから、私はひたすらに、自分の使ってきた思いを振り返っていったのだと思います。ある人にくそったれが出れば、それはその人だけにではなく、ありとあらゆる人と出来事に使っていたのは納得でした。まさに、相手変われども主変わらず、でした。自分の心、自分の思いが変わらなければ、いくら首を挿げ替えても状況を変えても同じだ、それが意識の世界だと学ばせてもらいました。 私は、自分自身のテーマ、「愛」と「死」、このテーマをこれから先も自分の中で見続けていくことでしょう。 「愛」と「死」が分からなくて、さまよい続けてきた自分でした。その過去からの自分を清算することが、自分に対する愛でした。そしてその愛は人間の究極的な場面、「死」をどのように自分で受け止めていけばいいのかを、自分自身に伝えてくれるものでした。そのために用意してきたこれまでの肉の時間と空間でした。愚かな肉は、愚かな肉の一生を性懲りもなく続けてきました。生まれて死んで、そしてまた生まれて死んでという繰り返しの中で、ただ苦しみだけを積み重ねてきた転生でした。私はもうそろそろ、そのことにピリオドを打とうと、今世このように母に生んでもらって、自分の人生のシナリオを書いてきたと感じています。だから、私には今世のこの時間は大変大切な時間なのです。必死で、それこそ自分が生きるか死ぬかの選択の中で、私は自分に今の肉体を持たせたと感じています。その思いの強さゆえに、私は世間の常識からする幸せとか喜びとかの感覚のズレを、自分の中で根深くそして根強く感じてきました。世間で言う幸せ、喜びを感じても、どこかでそれを否定する思いが出てくるのです。幸せだ、嬉しいと喜んでいる自分と、そうではないでしょうと伝えてくる自分を感じ、これはどういうことだろうかと、ずっと自分の中で疑問でした。 もちろん、真実に行き着くまでは、肉の喜びと幸せを希う思いは強かったです。どうすれば、そしてどうなれば、自分は心の底から幸せだ、喜びだと感じられるのかと思ってきましたし、肉の努力もしてきたつもりです。しかし、どう頑張っても、自分が納得いく回答は得られなかったというのが、本当のところでした。何かが自分にはない、何かを欠かしていることは感じても、ずっとその何かが分からなかったのです。 そういうことを感じてきた私には、いくら自分自身が肉にまみれた生活を送っていても、決して自分を誤魔化すことはできませんでした。それを私は、これまで語ってきましたように、疼きと理解してきました。自分の中で疼く思いがあって、何かのきっかけがあると、その疼きはより強く自分に響いてきました。それが、自分の背中を押し出し、具体的な形となって目の前に現象化して、自分に気付きを促していったと解釈しています。自分の心が敏感になり、本当のことをとらえ始めるようになれば、そういったことに納得していきました。疼きは、自分が自分に伝えている、自分が自分に教えているものだ、そう感じてきました。そして、では自分に伝え教えている自分とは何なのだろうか、また、それを聞いている自分とは何なのだろうか、ということをよく思っていました。私は、そうやって第三者的に自分を眺めることをしてきました。学びに集ってからも、心を見るという作業は、この第三者的な見方で自分を眺める、一歩引いて自分を見つめることが肝要なのではないかと、私自身思っています。物事の渦中にあれば、全体像を見ることができません。そういったことが、心を見るということにも当てはまるのではないかというのが私自身の思いです。そして、また、肉というものは一様にして愚かであり、それを前提にして心を見る作業をしていくことも大切だと思います。そうすれば、世に言うところの人格者は存在しないことが分かります。もっと言えば、アルバートという波動を知らなければ、肉の世界では人格者で通用していても、意識の世界では決してそういうことではない、このことが歴然としてきます。 そういった肉的なものをみんな外して心を見ていけば、人としてそして道義上、よしとして受け止め流していることであっても、その作業を進めていくほどに、全く違う方向から心に感じてくるものがあると思います。すなわち、物事を形としてとらえていくのではなく、波動として感じていくようになるからです。肉の世界ではよしとしてきたものも、果たしてそこから来る波動、エネルギーはどうだろうかとなってきます。そういうものを感じながら、日常生活を続けていけば、自分の毎日はこれでいいのだろうか、朝起きて夜寝るまでの一日がこうして過ぎていくけれど、本当にこれでいいのだろうかと、必ず自分に問うてくる時がやってくるのです。中からの疼きが肉の表面近くで疼いてくるとでも言えばよろしいのでしょうか。もちろん、そういう時に、他人に自分の思い悩んでいることを話したりして、何か回答を得ようとする、解決策を見出そうとすることも、ひとつの手段でしょう。独りで思い悩むよりも、心の中にある思いをみんな吐き出していくことによって、道が開けていくかもしれません。しかし、私はやはりそういう時だからこそ、よりいっそう真剣になって、自分自身に訊ねていかれることをお勧めしたいと思っています。すぐには回答は出せないかもしれませんが、試行錯誤を重ねながら、それでも自分との対話を続けていけば、すなわち自分の心を見ていく過程の中で、必ず自分が自分に伝え教えてくれるものに行き着くと思います。自分が行き着いた結論には自分自身が納得すると思います。たとえそれが真実の方向とズレがあっても、またその軌道修正が自然にできてくるのです。 また、自分の心を見ることを軽んじていけば、それはどこまでも責任を転嫁していく結果となります。どんな場合であっても、最後の決を採るのは自分自身です。仮に他人に勧められたことであっても、最終的に自分が選択したことには違いなく、あの人が言った、ここにこう書いてあったというのでは、あまりにも無責任でお粗末だと思います。自分の人生は自分で責任を持つという心意気、気概を失ってはおしまいだと思っています。そのような生き方では、それこそ肉の喜びと幸せすらも得ることはできないでしょう。自分の人生は自分が舵を取っていくべきものです。あなた任せの人生はどうでしょうかと思います。何もかもあなた任せなら、それもいいかもしれませんが、そういうことは決してありません。心のどこかに不満等をたぎらせながらでは、自分自身があまりにも可哀想で、これほど哀れはないのではないかと私は思っています。 人生と呼ばれる時間の中で、どんなに凄まじいエネルギーを噴射しようとも、現に、今ここにこうして存在している自分を思う時、私には言葉は何もありません。今世、実際に人殺しこそしてきませんでしたが、心、意識の世界は人を殺しまくってきたことを、感じていくにつけ、本当に今、こんなに幸せであっていいのかと思うほどです。そしてまた、その幸せな自分に到達するには、肉に留まる意識ではだめで、意識の転回、解放を命懸けでやっていくしかないと思うばかりです。 さて、この意識の転回、解放ということですが、この本には、「意識の転回」「心の転回」という表現がこれまでにもたびたび出てきましたので、ここでそのことについて、少し触れたいと思います。日々の生活の中での苦しみや悩みや悲しい出来事を通して、人は様々なことを思考していきます。何かを考える時間を持ちます。そして、なぜ思考していくのかというと、その先にあるのは幸せになりたいということだと思います。誰しも幸せな人生を送りたいはずです。しかし、ではどうすればいいのかということになれば、誰も明確に答えることはできないのです。答えることはできないけれど、ほとんどの方は、とりあえずお金が幸せを運んでくれると多かれ少なかれ信じています。ただ、お金こそすべてだと正面切って言うのははしたないから、ある程度の表現に留めていますが、今の世の中がお金を中心に回っていることは、みんな暗黙の了解です。何か事が起きると、お金に関してみんな走り回ります。事態収拾にお金はついて回ります。それが世間の常識であるし、その中に生きている自分達だからそれも当然だと、様々な思惑を抱えながらも、その世の中に沿った生き方を選択していくのです。それではいつまで経っても、同じところを循環しているにすぎません。結局は、社会の常識に埋没です。肉の生活の中にこそ幸せと喜びがあるという肉の土台は、揺るぎなく立ち塞がっています。意識の転回、心の転回というのは、そのような肉の土台に立っている自分をまず確認することから始まります。この肉体が自分だとする見方を変えていくのです。そして、その土台が間違っていることをしっかりと心で知って、自ら土台を崩していくことが意識の転回、心の転回です。 そもそも、肉の土台にある幸せの条件というのは人それぞれです。元気溌剌な肉体、聡明な頭脳、自分を愛し優しくしてくれる人との繋がり、自分を高く評価してくれる地位、身分、そして潤沢な財産等々と様々でしょう。仮にそのどれもみんな手に入れたとしても、それらによって心に吹き荒れる寂しさ、空しさは埋めることはできないと、私は確信していますが、あなた自身どのように思っておられるでしょうか。そうかもしれないと思っている人もあれば、いえ、私はそういうものが自分を幸せにしてくれるものだと考えているし、それを手にするために頑張りますと言われる人もあるでしょう。 一方、肉が土台ではなくて、意識の世界を基盤とするところから来る幸せ感とはどのようなものでしょうか。肉の世界のように人それぞれでしょうか。そこで、ここにアルバートというものが登場します。この言葉も数箇所すでに出てきておりますが、このあとの部分で少し詳しく述べさせていただくことにします。 意識の世界を基盤とする幸せと喜びは、たったひとつに集約されるのです。つまり、アルバートという波動の世界です。アルバートの世界だけが幸せ喜びの世界ですと、ここではお伝えしておきます。意識の世界には、肉の世界のように、選択肢がないことを知ってください。そして、宗教、精神世界が乱立している世の中ですが、その世界もまた肉の世界の延長線上にあることも、付け加えておきます。どこそこの教えは素晴らしい、あそこでは人としての本来の道を説いていると、一応世間ではそうなっていても、それらみんなに共通するのは、肉を土台としている点であり、そこに着目してほしいのです。従って、意識の世界、波動の世界、摩訶不思議な世界と看板は掲げてあっても土台が違うのです。それは本当の意識の世界のことではないということも理解してくださればと思います。 ところで、冒頭、私の今世の最大のターニングポイントは田池留吉氏との出会いと書かせていただきました。もちろんこの出会いというのは、肉と肉との出会いです。この出会いがなければ、今現在の私自身もなかったでしょうし、一連の私のこれまでの実生活における体験も、ただ単なる肉の生活の一部分に過ぎませんでした。結婚したから、そしてその夫を亡くしたから、また父が病気でその父も亡くなったからと言っても、そういう類のことは世間にはありふれた出来事です。もっと言えば、苦労というか苦しい立場、悲しい場面を体験してきた人などごまんといます。しかし、どれだけの修羅場を潜り抜けてきた人でも、本当にその体験を自分の糧にしているのかと言えば、決してそうではないと私は思います。苦労してきた、これだけのことを色々と体験してきたからこそ、今の幸せがあるのだと、自分の人生を振り返ってみても、ではあなたの幸せとは何ですか、あなたの喜びとは何ですか、本当にあなたは今のあなたで満足なのですか、と問うていったなら、結局行き着く先は、みんな肉としての自分が土台にあります。一人の人間として、このような生活の中でこのような体験を重ね、今このように考えています、このように思っています、これからこのようになればいいですね、またなるように頑張りますということだと思います。 私は違うのです。確かに私の今世体験してきたことは、世間にざらにある出来事です。精神病患者やガン患者など世の中にはあふれています。しかし、そこからどのようにして何に気付いていくかが問題なんです。間違いなくそれらの現象は気付きを促すものなのです。しかし、なかなかそうは取れません。何かに気付くために色々なことが自分の周りで起きるのですが、大抵はその起こった出来事に対処することにのみ思いを向けていきます。簡単に言えば、それらを解決する方法を探し回るのです。お金が必要ならできる限り工面するでしょうし、医学処置が必要ならば、できるだけ評判の高い技術面でも信頼のある医師と、設備が整っている医療機関に頼っていくのが普通です。そして、当面の諸問題が時間の経過とともに何らかの決着がつけば、それで終わりです。しかし、それでは根本的な解決は何もなされていないということを伝えてくれたのが、田池留吉氏です。そして、私自身も自らの体験を踏まえて、目の前の出来事に対処するだけでは、私の中は何も解決されないことを感じさせてもらいました。実生活での体験を自分の転機にして、そこから全く違う自分というものを知ったという点で、世間にざらにある出来事を本当に自分の糧にしてきたと私は思っています。 そこで、田池留吉氏について、私自身どのように思ってきたか、その肉と意識について、及び田池留吉氏が伝えてくれた心を見るということについて少し触れたいと思います。 田池留吉氏との最初の出会いはセミナー会場です。この人が数学の先生で高等学校の校長まで勤められたことは知っていましたが、私としましては、校長先生だから偉いとかそういう思いは持っていませんでした。もっと言えば、その人の経歴を私は度外視していました。私は最初あまりこの人の肉に興味がなかったというのが本当のところでした。年齢もかなり違うし、私の好みでもないし、肉的に言ってもどこか遠いところの存在の人でした。しかし、そのセミナーという集まりは、私の知りたいことを教えてくれるところだという思いを感じていましたので、セミナーには行きたかったのです。そして行けば、この人が何かお話をしていたのですが、その話も分かったような分からないような具体性に欠けていたというのが、私の最初の率直な感想でした。話を聞いて、なるほどと思う点もありましたが、もっと分かるように説明してくれと何度も心で思いました。しかし、心を見なさい、お母さんの反省をしなさい、他力信仰の反省をしなさい、頭では分かりません、心でしか分からないのです、それ一辺倒でした。頭で理解しようとしていた私には、話は雲をつかむような感じでしたが、それでもセミナーに行けば、また次も行きたいとなって、職場の方にも随分とご不便をおかけしたと思います。 ところで、心を見るということですが、セミナーに集えば、そこに田池留吉氏がいるのだから、当然その肉に関して、様々な思いを皆さんが出します。私もご多分に洩れず、話の内容が今一具体性に欠けているだの、もっと分かりやすく説明しろだの、好き勝手な思いを出してきました。それはとりもなおさず、偉い己があったということなのですが、そのことを心で知ったのは、ずっと後のことでした。その他、心を見るということについて、その一例を挙げさせてもらいます。 セミナーでは、最初に田池留吉氏の話があって、その話が終わると、当時はチャネリングというのが主流で、いわゆるチャネラーと呼ばれる人達が、他人の心の中の思いを語り始めていました。中には過去世を出すチャネラーもいました。自分の頭には記憶のない過去の時代に、こんなことが起きて、こんな思いを使ってきたと語られるのを、まるで私は物語を聞いているような感覚でとらえていました。初めのうちは、チャネリングを、そのように興味本位で聞いたり、ときには涙を流したりしていましたが、私はそのチャネリングにも飽き足りなくなっていったのです。特に、自分の家庭内等における悩み事についてのチャネリングについてはうんざりでした。夫がどう思った、妻がどう思っている、子供がどうだとか、もうそんなものをいくら聞いても仕方がないと思うようになったのです。私の知りたいものはそんなことではないと思いながら、私自身その心の奥底を見ることをしていなかったと振り返っています。チャネリングを希望する人を下に見て、己をそびえ立たせていたということに間違いはないと思います。チャネリングの内容云々よりも、その状況の中で自分の心に、一体どのような思いが出てくるのかということが、自分自身の勉強でしたが、私自身もまた、チャネリング、チャネラーというところに、心がとらわれていました。そして、それは、チャネリングを聞く側、受ける側、双方とも同じです。どれだけの人が自分の心を見ながら学んできたのか、そのような中で、少なくとも田池留吉氏は、自分の心を見ながら、淡々とセミナーを遂行していったのでしょう。 心を見て本当に分かるのか、それよりももっと手っ取り早い方法はないのか、できればチャネラーとやらに自分もなってと思ったのは、私ひとりだったのでしょうか。心を見て本当に分かるのかという思いの底に、偉くそびえ立っている自分があることにもなかなか気が付きませんでした。まさに、心を見ていなかったからです。また見ようとしているけれど、賢い自分の頭を信じて、頭で自分の心の動きを追っていこうとしてきました。しかし、最初はそれでいいと思います。段々やっていくうちに、やがて、心の世界をその頭で把握しようとしていた自分の愚かさにハッとする時が、やってくるからです。まずやりなさいとか、やってみればと言われたことに、肉は素直に従っていくことです。やったらどうなるのかとか、本当にそうなるのかとか、そのような思いは一切不必要なことだったと今なら分かります。 しかし、一朝一夕では心を見るということが分からないし、またできません。地道に、自分の中でただ自分の動く心を見つめていくだけです。出てきた思いに肉基準の評価だとか、ましてや他人との比較は無用です。 たとえば、怒りという思い、怒りという感情が出てきたならば、その怒りの思いだけをストレートに見つめていきます。こんちくしょう、あんちくしょう、何でこうなんだと事の理不尽を感じるならば、まずその思いを出すことです。出すと言っても、人や物に当たったり、何かで誤魔化したりするのではありません。ただ、自分は怒っていることを確認するのです。そして、その怒っている自分が苦しいと感じることです。苦しいと感じられない人があります。それはどこまでも自分が正しくて立派だからです。自分を正当化しながら怒りの思いを確認しても、その矛先は常に自分以外に向いてしまうのです。それでは心を見ていることにはなりません。そして次に、苦しいと感じたならば、なぜ苦しいのか、怒りを出させたあいつが悪い、こんな理不尽を受けたからだと言っているようではだめです。人は、自分が苦しい場面に出会った時に、私のこの怒りとか悲しみ苦しみは、誰にも分かってもらえないということをよく言いますが、その通りだと思います。そもそも心の痛み、苦しさなどは当事者にしか分からないのです。他人と心の痛みを分かち合うことには限界があります。それは、それぞれが抱えている意識の背景が違うからです。人の感情として分かることと、意識として本当に分かり合うというのとは違います。それは、その痛みや苦しみは、それぞれの意識の世界が、真実の方向へと向いていくために自らが起こしていくものだからです。怒りやその他苦しい思いを本当に分かってあげられるのは、自分しかいないということなのです。そして、そのことは実はみんな自分の心で知っています。しかし、私の苦しみは誰にも理解できないと言いながら、分かってもらおうとするところに、また苦しみが募っていくのだと思います。 そこで、日々動く心を見て、たとえば怒っている自分と出会ったなら、今、自分の中が怒っているのだ、ああ、私はこの怒りの思いを自分で受け止めてあげればいいのだというふうになってくればいいのではないでしょうか。それは、怒っている自分と、それを客観的に見ている自分の存在を認識することによってできる作業です。その作業を、焦らずにたゆまずに淡々とやっていくのですよと、田池留吉氏は伝えてくれました。 通常は、怒りっぱなしです。怒りの場合に限りませんが、どのような思いが出てきても、まずその思いをどんどんと出していくことが大事ですが、それで放置していてはだめです。ほとんどは、その状態のままで日にちが過ぎていきます。だから、心の中の思いはそのままで、一旦治まったように見えても、その原因解明をしていないので、またその思いを引き出す事柄が起こってきます。そして、また怒ってまた時間が経って、そのうちにその怒りのエネルギーは自分の肉体細胞を蝕んでいくかもしれません。怒りの心が治まっても、それで無くなったわけでもなく、条件が整えば、いつでもそれが自分の中から飛び出してきます。それが意識の世界の仕組みです。段々してくると、人が変わっても状況が変わっても、自分の中から怒りという思いが出てくるのはなぜなのかと思われるのではないでしょうか。そこで、もしかしたら、自分のこの怒りの思いを引き出すために、この人がいて、こんな事態に巡り合っているのでないだろうかと思えたなら、もうしめたものです。そうです、着目するものは、相手ではなくて、目の前の出来事でもないのです。そういう一連のことが、自分の心で感じられるには、やはり心を見る実践と月日が必要です。だから一朝一夕に分かるものではないとお伝えしています。 ここでまた、田池留吉氏との関わり合いの中から、私が感じていることを語らせていただきます。 私は、田池留吉氏は学びの先生という位置づけをしていただけで、自分とは遠い存在だと思っていましたが、その先生が何か事あるごとに私に一言、二言ポツリと呟くようになったのは、私が学び始めてそう二、三年過ぎた頃からです。それも励ましだとか褒められるとかならまだしも、いつも私にとって嫌なことをポツと言ってくるのです。それらは、田池留吉氏にすれば何気ない一言かもしれませんでしたが、私の心にグッと突き刺さるものでした。何を言うか、くそったれの思いをまたグッと飲み込んで、顔は平然としている、そんな繰り返しだったと思います。あなた、心を見なさいよと言ってくれていたのでしょうけれど、当時の私には嫌なことを言う人だ、くらいにしか思えなかったです。何でこの人は、私にこんなに絡んでくるのかと思ったこともありました。 ある時などは、「税理士さん、いい服を着ているね」と言われました。鈍感な私にも、その服というのは、肉を指していると分かりましたが、それならもっと単刀直入に言ってくれればいいと、私はその時もまた闘いの刃を向けていたのです。 鎧、兜をまとってなかなか崩れない肉の私に、田池留吉氏の意識は何とも優しい思いで、接してくれていたのですが、まだまだ未熟な私は、そこまで田池留吉氏の思いを受け取ることはできませんでした。 やはり、それが優しさから出た言葉だと本当に感じ始めたのは、肉が少し緩んできた頃です。つまり心が敏感になりつつあった時期、くそったれの思いが噴き出す反面、何とも言えない温もりと優しさを、田池留吉氏の肉を通して感じていったのです。ああ、肉で見ていた、私はずっとこの人を肉として見ていた、だから自分の心を見なさいと伝えてくれていた優しさも温かさもみんな素通りだったのだと気付いていきました。肉で見て、肉で聞いて、そして反発して、すべては肉基準であったことを痛感していきました。 それは、もちろん、田池留吉氏の肉に対してだけではありません。すべてのものに対して、肉として接してきた自分の間違いに気付かせくれたのが、田池留吉氏でした。だから、田池留吉氏との出会いがなければ、私は今もまだ肉、肉の中で己をそびえ立たせていたことでしょう。肉に走るエネルギーを緩めることはなく、自分の心を見る、すなわち自分の中にエネルギーを向ける素晴らしさに、私は出会えていなかったと思います。だから、田池留吉氏との出会いは、私の最大のターニングポイントなのです。全く違う世界の自分自身との出会いを迎えられたからです。 田池留吉氏は、実際にお会いになられた方達はお分かりのように、姿、形は平凡な老人です。私は老いぼれとつい口から出てしまいましたが、これは私の心からの感謝の表現です。その老いぼれが、老体に鞭を打ってではありませんが、本当によくセミナーを続けてくださいました。実に命を張ってと表現しても決して大げさではありません。田池留吉氏は報酬はもちろん、名誉も何も一切要求しなかったことは周知の事実です。ただ真実を伝えにきてくれた肉であり、意識です。私はそのことに、いち早く気付いたのです。それを自分の中で気付いた私もまた幸せ者です。田池留吉氏の肉と意識、そして私の肉と意識、今世のこの出会いを私達は、本当に心の底から喜んでいます。一方は真実の世界から、そしてもう一方は地獄の奥底から、しかしこの両方は互いにひとつだったということを、私はまた自分の心で知るに至っているのです。世間にざらにある今世の出来事から、私はようやく自分に気付きの時を与えたということです。 田池留吉という肉を持った意識との出会いを、私の意識の世界は予定していた、私はこのことを自分の心で感じそして確信していますが、まだ形の世界しか知らない人(意識)にとっては、このように表現しても実際のところピンと来ないでしょう。私はそれも承知しています。その上で、色々と説明させてもらっています。しかし、これもまた限度があります。言葉でどうしても表現できない部分、それは、それぞれがご自分の心を見て、それぞれが心で気付いていくというプロセスを経なければなりません。本当の意識の世界というのは、頭で理解できる世界ではないからです。肉を持てば、頭を過信します。私もその過ちをずっと続けてきました。幸いなことに、私自身はその限界に早い時期に気付き、自分自身方向転換をすることができました。しかし、世間は頭脳優先です。経済優先です。そのことを充分踏まえた上で、ではあなたはこれからどのような方向で生きていきますかということだと思います。 私の田池留吉氏に対する思いは、不動です。もちろん、肉はこの方も私も愚かですが、私は肉としても田池留吉氏の誠実さにも触れています。そしてどれだけの思いで、この真実の道をひたすらに歩いているかということの一端を垣間見させていただきました。うそ偽りで塗り固められている実社会で、このような人と出会わせていただいたことの喜びは尽きることはありません。むろん、意識の世界に思いを馳せれば、それは言うまでもないことです。 今世は、真実の世界から田池留吉という肉を持ってきた、そして二五〇年後は真実の世界から再び肉を持ってくる、これが私自身、心で感じている現実です。そしてその真実の世界というのが、これから語らせていただくアルバートの世界ということです。真実の世界イコール、アルバートです。そのアルバートの今世の肉が田池留吉、二五〇年後の肉がその名もズバリ、アルバートだということです。 そういうことを、私の意識の世界はすでにキャッチしています。だからこそ、アルバートが肉を持つ今世と二五〇年後に、私自身もまた肉を持ってくるという設定になっているのです。 私自身は、すでに、アルバートの波動と出会うために、今世このように肉体をもらって生まれてきたことを、自分の中で確信しています。アルバートの波動と出会うシナリオが、私の今世でもあり来世でもあることも明白になっています。 アルバートの波動と出会いたかった、すなわち本当の私自身と出会いたかった、これが私の探し続けてきた真実の心の叫びでした。その心の叫びに忠実に誠実に、これからの時間も流れていきます。今、それが私自身であり、それが意識の流れそのものであると、私は確信している次第です。だから、冒頭でも言いましたが、私は、「私の人生は幸せです」と言えるのです。誰がいるからでもなく、何があるからでもなく、私は真実の私と出会うことができた、この事実がそのように自分に伝えてくるからです。 私は、自分の書いてきたシナリオ通りに、今淡々と道を歩いています。その道はすでにこの先、二五〇年後に繋がっています。そして、それから先にある私自身の意識の世界にも がっていることを信じ、そして確認しながら、今はただひたすらに自分とアルバートの世界を堪能していくだけです。 そして、私の中では、今やもう次元移行という意識の流れを感じるという局面に至っています。二五〇年後の来世とともに、私の中で、さらなる真実に向けて喜びが花開く、その瞬間を待っているたくさんの私自身を私は感じています。 以上が、これまで私自身が歩んできた学びの大まかな道筋です。そこで、アルバートとは何なのか、アルバートとともに、あるいはアルバートと出会うとはどういうことなのかということも含めて、今現在の私自身の思いをもう少し綴らせていただきたいと思います。 二十年間のセミナーの時間の中で、多くの方は、神、神の子、エルランティ田池という過程を経ながら学んでこられたと思います。そういう方の中に、それらの世界とアルバートの世界とはどう違うのか、どうしてアルバートであって、神、神の子、エルランティ田池ではだめなのかと、心に引っかかる方はおられないでしょうか。そこで私は、違うとかだめとか言うのではなく、学びは進化しました、意識の世界は奥が深いのです、ということを挙げさせていただきたいと思います。アルバートの波動が分かる段階において、もはや神、神の子、エルランティ田池は完全に死語の状態です。しかしながら、学びの年月の長い人の中には、まだその当時のものを引きずりながらの状態の方がいらっしゃると思います。当然、その人達のレベルはその当時のままです。それでは、どうにもままならないことを、私は本書を綴っていくうちに感じ、やはりここでお伝えすべきだと思いました。その当時学んできたことと、今現在では、はるかに意識の世界のレベルがアップしていると解釈されて結構かと思います。素直に自分と真向かいになられて、ともに歩んでいかれたらと思っています。 自分を変える、すなわち意識の転回なくして、状況は何も変わらない、厳しいけれどこれが意識の世界の真実だということも併せてお伝えしておきます。今、このように明言できるほどに自分自身の成長があったことを、私は嬉しく思っています。 さて、アルバートとはということですが、一言で言うならば、波動です。唯一、プラスのエネルギーです。そして本当の自分を指します。 本来はアルバートという言葉でなくてもいいのです。今、肉体を持ち、言葉社会に存在している私達に何か共通語を示し、真実の波動の世界に心を向けるようにと、アルバートという言葉を使用しています。もちろん、それは田池留吉氏の来世の肉の名前ということでもありますが、そういう狭い範囲からアルバートをとらえますと、アルバートとともにという本来の意味が曲解されていきます。そしてまた、共通語であれば何でもいいのかというとそうではなく、神、神の子、エルランティ田池という言葉も、すでに死語となっていますから、やはり今の時点では、アルバートがもっとも的確な表現でしょう。 ただ知ってほしいことは、真実の波動の世界は厳然としてあるということだけです。つまり本当の自分は、厳然として存在しています。そして、そのことが分かるのは、自分の心しかありません。自分自身がアルバートだと知ること、つまり本当の自分自身はエネルギーであり、しかもプラスのエネルギーだということを心で知ることが最も大切なことなのです。 アルバートとは、プラスのエネルギー、そして本当の自分ということですから、もともと誰しもがアルバートを感じており、アルバートとともに存在しているのです。しかし、自分というものはこの肉体であり、自分を含め形の世界が本物だと、ずっと思ってきたのが人間ですから、今はアルバートが感じられない状態になってしまっています。偽物の自分が本当の自分を遮ってしまった状態です。そういう状態の中で、日々の時間を過ごしているのです。さらに、その状態に自分がしたことも決して忘れないでください。自分がしたから、自分でもとの状態に戻せばいいのです。それがアルバートとともに生きていきましょうということです。従って、アルバートと出会うとは、本当の自分と出会うこと、本当の自分を蘇らせるということです。 では、それには、どうすればいいのかということですが、まず自分がマイナスのエネルギーを作ってきたことに気付いていかなければなりません。本当の自分をないがしろにして、偽物の自分を作り続けてきたことに気付いていかなければなりません。どのようにして気付くのかと言えば、日々の生活の中で心を見ることに徹することです。何かを言う、何かをする、そのもとに自分の思いがあるはずです。人から何かを言われれば、自分も何かを思い、そしてその思いを言葉で発するか、態度で示します。そうしなくても何かを思うはずです。また、人が何かをするのを見たり聞いたりすれば、自分もそれに対して色々なことを思います。ときには、激しい感情となって心から噴き出て、それが自分の言動となっていくこともあるでしょう。その他、理由もなく、空しさや寂しさで心が埋められていく時もあるでしょうし、有頂天になって、いい気分楽しい気分に心が踊っている場合もあると思います。 どういう状態であっても、それらはみんな自分の中で作ってきた偽物の自分です。その偽物の自分が等身大になって、今の肉体を通して現れてきているのです。心を見るということをしなければ、そのひとつひとつに振り回されていきます。言うなれば、本当の自分と偽物の自分とのギャップに翻弄されていくのです。それが形の世界では、様々な悩みや苦しみとなって自らを苦しめているかのように映ります。 しかし、アルバート、つまり本当の自分からすれば、それらは喜びでしかありません。なぜならば、偽物の自分から本当の自分へ目覚めていこうとする、自分に対するメッセージが様々な悩みや苦しみだからです。そういうことが、心を見ていけば自分で分かってくるはずです。だから、喜んで偽物の自分を受け止めていこうと自然に思えてくるのです。そしてこの世にはマイナスなんてなかった、みんなプラスだった、みんなアルバートだった、それも実感してくると思います。このような過程を経ていくことを、学びの中では自己供養と表現されていました。 また、偽物の自分を確認し、受け止め、本当の自分に変えていける、これはアルバート、すなわちプラスのエネルギーの中でしかできないことです。マイナスのエネルギーばかりを膨らませてきた私達が、肉という形を持って初めて、そのプラスのエネルギーの存在、すなわち本当の自分の存在を知っていくことができるのです。そのために、私達(意識)は、形を持ってくる、つまり生まれてくるのだから、肉を持ってアルバートと出会う人生がどれほどの喜び、幸せな人生か、アルバートとともに生きていくことが、どれほどの喜びであり幸せであるかお分かりでしょう。それはご自分の心を丹念に見ていかれたならば、どなたもご自分の心で感じることができるのです。 そもそも、アルバートと出会う人生とかシナリオとかと表現すれば、何か特殊な人生であり、特殊なシナリオのようですが、人間はみんなそうなのです。みんなそれぞれの中で、アルバートというプラスのエネルギーと出会うように、設定してきているはずですが、そのことに気付かないままに、肉を捨てていったこれまででした。そして、これからは、形の世界が大きく崩れていく中で、そのことにようやく気付き始めるのです。私は、それが意識の流れですと確信しています。 心を見ていかれたならば、お分かりのように、文字通りアルバートの世界は無限大です。そして自分の作ってきたマイナスは無尽蔵です。決してできた、分かったという世界ではありません。だからこそ、これからの自分自身に思いを馳せれば、嬉しさだけが大きく広がります。無尽蔵にあるマイナスは無尽蔵にあるプラスだと、心で感じてくるからです。 もちろん、私自身はそのことをひしひしと感じています。私のアルバートへの道は、今世始まったばかりです。今世その道を一歩一歩着実に歩み、そしてまず二五〇年後に繋ぎました。そこから次元移行を経て、私自身は永遠に存在するものだという確信がある今現在です。心でそのように感じている私には、アルバートとは何かと言えば、それは私のすべてだと答えるでしょう。それは、決して大げさな表現ではありません。本物と出会い、そしてそれが私自身であることを知った喜びと幸せを感じている私には、この喜びと幸せこそが、私自身、一番待ち望んでいたものだからです。 ホームページについて 学びを進めていく上において、セミナー参加というのは何よりも大切なことには違いありませんでしたが、もうひとつ大きな役割を果たしてきたのが、ホームページでした。 田池留吉氏が、二〇〇〇年後半より立ち上げた最初のホームページ「反省と瞑想の時間ですよ」は本当に盛りだくさんの内容でした。 私は当時のとある日、田池留吉氏からお電話をいただきました。それは『「Fさんの反省」というコーナーをホームページに作るから、あんたが瞑想をしたときに上がってきた思いをメールしてきなさい』というものでした。 その後も、「核からのメッセージ」であるとか、「意識流れからのメッセージ」、「あなたの意識ではありませんか」等々、その時々で田池留吉氏のホームページ上にコーナーを設けていただいてきました。 そして、田池留吉氏のホームページは、亡くなられた今も、「意識の流れ 田池留吉の磁場を思い瞑想をしよう」というタイトルで残っています。そこでも、私は、「私の瞑想より」というコーナーをいただきました。そして、「そろそろ、あんたのホームページを立ち上げなさい」というお話をいただいたのが、二〇一四年(平成二十六年)秋頃だったと記憶しています。 田池留吉氏は、以前からその年の十二月で、約三十年に渡って開催してきたセミナー(常時参加人数六百人〜七百人)から退くと決めておられたので、そういう話になっていったのだと思います。 「ホームページを通して、セミナーを通して、みんなとともに真実の波動の世界、田池留吉の世界を学んでいきなさい」と、私は背中を押していただいたように思います。その一年後に田池留吉氏は亡くなられました。私は、田池留吉氏のおっしゃられた通り、二〇一五年(平成二十七年)一月より、「UTAの輪の中でともに学ぼう」というタイトルでホームページ(http://www.uta0309.com/)を開設しています。 二〇一五年(平成二十七年)十二月に田池留吉氏が亡くなられて、明けて二〇一六年です。二〇一五年(平成二十七年)春発足のUTAの輪のセミナーも二年目を迎えています。 田池留吉氏に背中を押していただいた私は、今、セミナーは、NPO法人UTAの輪さんのご協力を得ています。そしてホームページは一般社団法人UTAブックさんのご協力を得ながら、田池留吉氏の残してくれた言葉通りに、仲間達とともに喜んで学んでいこうと思っています。何よりも田池留吉氏の思いを忠実に遂行していけることを喜んでいます。 「ホームページを通して、セミナーを通して、みんなとともに真実の波動の世界、田池留吉の世界を学んでいきなさい」という田池留吉氏の思いに沿って、どうぞ、これからもともに学んでいこうではありませんか。 最後になりましたが、私は、本書は私にとって学びの原点だと思っていますと申し上げましたが、実は私は「Fさんの反省」もまたそのようにとらえています。 それで甚だ恐縮なのですが、復刻版ということで、私の我儘を許していただき「Fさんの反省」を掲載させていただきます。二〇〇〇年頃ですから、遡ること十六年前の反省文ですが、きっとそこから何かを感じていただけるのではないか、感じていただけたらいいなあと思っています。 Fさんの反省 1 私は信じています。あなたはどうですか。あなたは私を信じていますか。すべてを委ねていくことができますか。 朝の瞑想での思いでした。私の中のやさしい思いが肉だと思っているこの私に伝えてくれているのだと思いました。 日々何を思って生活していますか。喜びで生活をしていますか。この学びを盾にとって自分を上に置いていませんか。人には人の学び方があります。その人なりの神に帰る道があるのです。みんな一生懸命なのです。こうしてくれたらと思う思いはもう苦しみだけなのです。ただあなたはご自分がどれだけ喜びの心で毎日を過ごせるか、それだけでいいではないですか。伝えたい思い、少しはこの学びに心を向けてほしいという思い、その思いの中にはきっとその人を責めている思いが入っているのです。そうではありません。やさしい思いはあなたが何も特別に思い煩うこともなく、あなた自身が喜んでいれば自然と伝わっていくものなのです。みんな神の子だからです。肉で何とかしようという思いは傲慢です。そのことに気付いていくために必要な時間なのかもしれません。肉があってこそ見える思い、だから肉を与えられた時間を大切にしてください。そうしていったとき、肉がなくてもそこに存在しているのだとあなたの心で実感できるのです。 私が肉基準の心だから、人を見下げ人を責めているにもかかわらず、みんなこの学びをしてくれたら、私がこんなに苦しまなくてもいいのにと、こんな苦しい心を使うこともないのにと、そういう思い方を何度もしてきました。相手がどうであれ苦しいのは私の心だったのに、その思いを変えていく以外にはないのに、やはり苦しみは外からくるものだと思ってきたのでした。 死と隣り合わせなのは父だけではありません。それが現実ですよと父は伝えてくれています。父の肉を見ることにより、私は自分の生き方、死に方を間近に考えます。自分で出してきたものは自分で精算する、それが自然の流れなのだと思いました。 生きることは苦しい、死ぬのも怖い、この流れの中にすっぽりとはまり込んでしまった私の心です。いつ精算するのか、いつその流れを変えていくのか、これが私のこれからの課題です。そこには誰もいない、ただ自分があるだけだと思いました。 目覚めてください。そして知ってください。本当のあなたは意識であることに目覚めてください。これからの三〇〇年はそのことをあなた自身の心で分かるためにあなたがあなたに与えていく時間です。すべてが愛です。真実に目覚めるために起こり来る出来事です。心の転回を速やかに、そしてそのことをあなたの心から伝えられる人になってください。私は待っています。あなたの心でずっと待ち続けています。私はあなたの中のタイケトメキチ、そして田池留吉の意識です。 2 今日、朝瞑想したときに「怖がらずに思いを出していきなさい」ってメッセージがきました。そうだ、私はいつも自分の思いを飲み込んできたって思いました。だから苦しかったんだって思いました。 自分の思いを素直に表面に出せない、自分を取り繕ってしまう、これが私の最大の苦しみでした。負けず嫌いで自分中心、己ほど素晴らしい者はないと私はいつもその思いでどんなときもその思いを出しながら生きてきました。先を越されることも譲ることも嫌で、本当に私にだけという思いを強く持っています。私にだけ、私にだけ、この心がどれほどの闇の思いであるか、またそれらの思いをストレートに出したら絶対に周りとトラブるからということも、よくこの肉は分かっておりました。だけど心は正直に出ます。いつも私はその思いとそして己の肉の看板との狭間で苦しかったのでした。その闇の思いを嫌ってきたから、そんな思いは私には受け入れられないと思ってきたから、素知らぬ顔をして蓋をしてきたから、苦しかったのでした。 肉のあなたはそんなに素晴らしいのですか。肉はなぜあるのですか。あなたのその神より大きくずれたそのあなたの心を見るためにあるということを知ってください。たくさんのあなたが今までその存在に気付いてくださいとあなたに訴えてきたのです。どうぞ心をタイケトメキチに向けて、その思いをやさしく受け止めてください。 3 今、目覚めのとき、目覚めのときです。ともに心を見ていくことが喜びです。いっしょに神に帰りましょう。あなたも私もみんないっしょ。肉は個々にあります。でも思いは通じ合っているのです。苦しい心、汚い心、神より大きくずれた心を使い続けてきたのです。私はお父さんの肉体を通して学ばせていただきます。私の中にある闇の思いをしっかりと見つめていきます。お父さん、どうぞ私とともに学んでいってください。私たちは喜びの存在であることを忘れてしまいました。肉の思いの中で、いつも恐怖と孤独、寂しさの中でこの肉体を終えていったのでした。でも私は、自分の中のタイケトメキチ、お母さんの温もりをこの心で信じて、そして私は寂しい存在でも恐怖の存在でもなかったということをこの心で明かしていきます。いっしょに歩いていってください。 肉体細胞にありがとう。ここまでこの愚かな肉を支えてともに生き続けてくれました。あなたがいたからこそ私は学ばせていただけるのです。肉は愚かです。あなたを酷使し続けてきました。もう少し、もう少し私に時間をください。私はなぜこの肉体をもらい、そして自分の人生がどういう意味を持っていたのかということを、そしてこれまでの私の数々の過ちをもう少し見続けていきたいのです。肉は今の私にとって大切です。ほんの少しほんの少しでも真実の自分に触れて私は今世を終えていきたいのです。たくさんの過ちを繰り返してきた私の心の中に、ようやくほんの少しの明るさを見出せるような気がします。それまでどうぞ私に時間をください。 4 喜び人生の門出にふさわしいセミナーでした。私の出しているエネルギーはすさまじいです。でもまたそれを許してくれている思いを感じられることが、ただただ嬉しいです。他力の神々が怒り、決して田池留吉を認めようとはしない思いと、それでも許され、ただ許して愛されている思いを何度も何度も確認していける、そんな時間を与えられている私は、本当に幸せ者だと思います。セミナーに集えるということがどれほど幸せなことなのか、痛切に感じさせていただきました。 嬉しいです。ありがとうございました。 お母さん、ありがとう。嬉しいです。 私はあなたを呪って呪って呪って呪って呪って呪って殺して殺して殺して殺してきました。私を許してください。私を許してください。お母さん。 現象で田池留吉に向かっていく他力の神々のエネルギーも、お母さんの温もりを感じ詫びているその思いが嬉しくて、一歩一歩、神に帰る道を歩き続けていくことがそれがただ嬉しいと思いました。現象の時間は許されていることを実感できる時間だと思いました。 この心にどんなに汚い思いを秘め、どんなに腐り切った心に成り果てても、ずっとずっと信じてそして愛して許してくれている本当の自分の思いを確認していく時間が現象の時間なのだと思いました。とっくに見限ってしまったと思っていたけれど、そうではなくずっと見守り続けてくれていたということに気付いていけることが、幸せだと思いました。闇の思いを嫌い切り捨てる方向に心を使ってきた私でしたが、本当はその汚くてどうしようもなくて見たくないその思いこそが神に帰ろう、神に帰りたいと必死に叫び続けていたのだとそう感じられました。 田池留吉から流れる波動を自分の心で確認すること、その波動を知ること、それがこれから大変重要な鍵となってきます。私たちはこれから三〇〇年かけて心の世界、本当の意識の世界を知っていきます。それは私、田池留吉、そしてアルバートとともに進んでいく道なのです。私の心の中には来世がもう着々と用意されています。ともにともに歩いていきましょう。喜びの道をともにともに歩いていきましょう。私は待っています。あなた方の目覚めを待ち続けています。私の心の中は喜び喜び喜びだけです。どうぞどうぞ私を信じ、そして私とともに歩いてきてください。一歩一歩確かな道をどうぞどうぞ歩いてきてください。 5 田池留吉は意識です。私の中に存在するやさしいお母さんの温もりです。だから懐かしいのです。私は田池留吉の意識を信じて、また一歩一歩本当の自分に帰ります。心の中には私が過去掴んできたたくさんの神々のエネルギーが渦巻いています。でも私は田池留吉の心を信じ、そして我が心にその思いを蘇らせていきます。「私は意識です。私は肉ではありません。」とその信を自分の心で少しずつ膨らませていくことが喜びです。肉いっぱいの心でも私はまた今世こうしてお母さんに生んでいただき、そして田池留吉と出会えました。お母さん、私、生まれてこられてよかった。お母さん、私を生んでくれてありがとう。 先生の電話での指差しが、私の中の素直な思いを語らせてくれました。そして私が掴んできた他力のエネルギーが私に教えてくれたのでした。すべて私です。私が私に伝えてくれているその思いのやさしさに、私はただこうして今このたくさんの自分と出会えることが嬉しいと思いました。 田池留吉はただ待ち続けています。やさしい思いで喜びの心を私たちに伝え続けてくれる意識です。あなたは私、私はあなた。その思いをこの心で本当に感じていったならば、何も恐れることはないでしょう。 たくさんの他力のエネルギーに支配され、がんじがらめになっているその心の底の底の奥底に、本当の自分が埋もれているのです。私はあなた方をただ信じ待ち続けているだけです。今世、肉の田池留吉との関わりもあと僅かを残すことになりました。しかし意識の世界では、私はあなた方とともにあるのです。そして今世学ばれたことを、どうぞあなた方の来世へとつないでいってください。私はいつまでも待ち続けています。 6 何が間違っているのでしょうか。心で感じていってください。言葉ではなく、そして頭でもなく、あなたの心で感じていってください。 私の心はがんじがらめです。身動きひとつ取れない状態です。がっちりと自分の心を押さえ込んでいます。それが苦しいのです。だから苦しいから、どうすればいいのか自分に尋ねてみました。返ってくる答えは、お母さんの反省でした。お母さんの温もりを思い出してください、お母さんの温もりを思い出して、あなたのその苦しい思いを受け入れていくのですよ、というものでした。 がんじがらめの心だから、以前は肉を鼓舞し、がんばらせることができたのだと思います。肉しか信じていない心で一生懸命自分なりの人生を生きてきた、そのエネルギーの源はこのがんじがらめの心でした。それを素晴らしいと自負し、その思いを益々膨らませる意識と同通し、自ら苦しみの渦の中に入っていきました。 私が選び心の中に膨らませていったエネルギーです。肉基準の心で強く求めたエネルギーです。私の中の隠された能力を引き出したいと求めていった心です。私はずっとその心で神を求めてきました。神、神、神、私に力を与えてくださいと、その心で神を求め続けてきました。肉を崇められたいから、だからこの私に力をください、肉、肉、肉の心で神を求めてきました。 肉基準の心で力を求める思いは苦しい、だけどやめられない。間違っているって伝わってくるけどやめられない。 三億六千年の数字を示しました。そう簡単には心癖は修正できません。しかし不可能なことではないのです。私が常々申し上げている反省と瞑想を繰り返し、内在のタイケトメキチを思い、そしてあなたの目の前にいる田池留吉に心を向けていくのです。この道標に心を向けていくのです。真摯な思いでやってください。あなたの心で分かってきます。これから私たちは大きな転換の時を迎えます。それが流れなのです。私はその神の流れを信じているだけです。他力のエネルギーが根こそぎ崩れ去るその時をまもなく私たちは迎えるでしょう。 7 「心の転回一直線で進みましょう」のぺージを読みました。傲慢でした。私はやはり肉でできる、肉で何とかできる、肉で変えていけるとそう思っていました。肉なんて何もできなかった。肉でなんか何もできなかった。反省して瞑想して現象に参加してそして自分の心で気付けたことをただ喜んでいればよかった、それだけでよかったと思いました。 変えていかなければ、変わっていかなければと、いつのまにか肩に力を入れていました。反省して瞑想してそして何か気付いていかなければ、それをやっている値打ちがないと、いつしか私は肉の勉強の延長をやっていました。そうじゃなかった。反省も瞑想も現象参加も、そして先生のマン・ツー・マンも、みんなみんなただ喜びだけでした。 瞑想して自分の心の中のタイケトメキチを思って、そして田池留吉を思ったとき嬉しいと感じる心をただ信じていくだけでよかったと思いました。いかに傲慢な心であるかということを感じました。ありがとうございました。 8 私の心の中にもやさしい思いがありました。 私をお腹に宿したときの母の思いに心を向けてみました。お母さんはただ私が生まれてくることを喜んでくれているだけでした。素直ないい子になってねって、ただそうやって私を育てくれたのだと思います。人と競争し人を見下し、人を責め裁き、お母さんをないがしろにしてきたのです。それでもお母さんはあなたはいい子だよって私を生んで育ててくれました。 お母さんは私を愛して信じてくれていました。神の子の心を信じてくれていました。それは田池留吉の心でした。田池留吉を見下し、田池留吉を認められなくても、田池留吉は私を受け入れてくれています。許して待ってくれています。田池留吉の波動は私に伝えてくれているのです。あなたは本当は素直な人なんですよって、私はあなたを信じていますよって、私は自分が一番好きでもあり、一番嫌いでもありました。 嫌いで嫌いで突き放して突き放してきた私を田池留吉は、ただ待っているだけでした。やさしい思いで待ってくれているのでした。長い長い時間待ち続けてくれていたのでした。そしてこれからも待ち続けてくれている意識でした。 お母さんでした。お母さんは私を待って待って待ち続けてくれていました。どれだけ裏切り続けようが、私を信じ待ち続けてくれている意識でした。 お母さんの心に帰りたい、私のふるさとでした。お母さんの心は私のふるさとでした。 9 全知全能、オールマイティ、久々に聞く言葉でした。好きな言葉でした。私がT氏に抱いているイメージがそれでした。超能力者として崇拝してきました。肉を比べていました。みんなの前に立つ者は、ベールに包まれていなければならない。みんなとお風呂に入って、みんなと同じ部屋で食事している田池留吉にそんなことしてほしくないと思ってきたのかもしれません。知らず知らずのうちにそう思ってきたのかもしれません。肉的に嫌いなところがあるかと聞かれて、普通の人であることがだめで、もっと秘密めいたところがある人であったらいいと思ってきたのかもしれません。 T氏に向けなさいと言われて、心で感じるものは苦しい思いだけです。そしてここでは自分の力が充分に出せないから悔しい、田池留吉消えうせろ、という思いが出てきます。しかしなお、田池留吉の波動はその思いさえも包み込むやさしさです。心が変わっていくのが分かります。お母さん、お母さん、お母さんはこんな私を受け入れてくれた、こんなすごいエネルギーを出している私を受け入れてくれたと、私の心は変わっていくのでした。 先生はただその波動の違いを教えてくれているのです。言葉はいりませんでした。姿形はいりませんでした。力説しなくても感じられるやさしさがありました。形で示してくれない先生に苛立っていました。T氏をはるか上に置き、田池留吉、本当の自分を見下げ続けてきました。私は田池留吉の肉にとらわれていました。田池留吉を肉としてしか見ていませんでした。田池留吉の方に何回も向けさせてもらいました。田池留吉の波動はお母さんの温もりでした。お母さんでした。田池留吉に心を向けて、T氏を崇拝している私の思いを緩めていきます。 10 目を閉じて田池留吉を思うとき、嬉しいという思いが心の中に広がってきます。嬉しい、嬉しい、そしてお母さん、ありがとうと続いて出てきます。涙があふれてこんなに素直になっている自分が不思議なくらいです。 この心でこの思いで人と接しられたらどんなに心は軽く毎日が楽しいだろうかと思います。 今は、セミナーに集うみんなそれぞれが敏感になって田池留吉の波動を感じるようにセミナーは続けられています。時代錯誤も甚だしいと思いますが、私はセミナーに集って長い間、チャネリングということに拘ってきました。いわゆる霊道が開かなければ、この学びが分からないとずっと思ってきました。霊道を能力としてとらえてきた私は、その能力を身につけたくてどうすれば私の心の窓が開くのかとそういう思いで反省をし、セミナーに参加していました。セミナーに参加する動機、目的を何度も確認するように促しを受けましたが、見たくない部分だったから自分に甘くおざなりにしていました。チャネラーになれば、みんなの注目を引くこともさることながら、意識の世界に敏感になれば、すなわちチャネラーになれば、自分の心がよく見れて反省もスムーズにいく、そうなれば自分の心癖も簡単に気付けて修正も容易だろうと思ってきました。もっとも手軽な方法を探してきました。そういう幼稚というか、打算的な思いで長い間セミナーに通い続けていました。 七年の年月が過ぎました。私の中の他力のエネルギーは、まだまだしっかりとこの心の中にあります。少し敏感になってそのことが自分の心で確認できるようになりました。そして田池留吉を思えば、嬉しくやさしい思いもこの心から出てきます。そしてその他力のエネルギーは、そのやさしい思いを信じて受け入れていかない限り、私の中から決して消えることがないということも分かりました。 意識の世界に敏感になるということは、私が考えていたそんな生易しいものではありませんでした。自分がどれだけのエネルギーを握っているかを確認するために私はチャネラーということを選んできたのだなあと思います。本当にチャネラーというのは自分のためでした。たくさんの意識を受けて多くの言葉を出すチャネラーをよく分かった人としてきました。根本が変わらない限りどうしようもなかったことが分かりました。波動が分からない、波動が信じられない限り何も見えてはこないということだったのです。いつも原点でした。そして「田池留吉を信じていきます」というこの心から出てくる思いを大切に育てていきたいです。 11 私は己が高いです。だから自分の感情を素直に表面に出すのが苦手です。それは苦しいことでした。嬉しかったら嬉しいと叫べばよかったのです。私は素直に自分の思いを出している人を見ると羨ましいと思うよりも見下げていました。感情を制御することはよくて、感情のままに動いている人を見下げ続けてきました。 でも私の中の意識は素直に語っていました。その思いがとてもやさしい思いでした。田池留吉に委ねている思いは、とても安らいでいます。私はこの自分の素直な思いを信じることができませんでした。このことを田池留吉は伝えてくれていました。 12 いつもいつもどんなときも私は、本当の自分に支えられていたのでした。いつもいつもやさしい思いが本当のあなたですよと私は教えられていたのでした。それに気付くだけでよかった。難しいことは何もいらないと思いました。私が私を見下げていました。本当の自分を足で蹴飛ばしていました。大きな顔をして私は素晴らしいと、私は間違ってはいないと、自分に唾を吐きながら生きてきました。 本当に自作自演の世界でした。私は意識の世界を何か摩詞不思議な世界だと、そして、神もそういう感覚で捉えてきたと思います。だから知りたいとか、それを感知できる力がほしいとか、そんな思いをこの心で膨らませてきたのだと思います。 田池留吉を信じるということは、自分を、本当の自分を信じるということでした。私の中のやさしい思いを、私の中の嬉しい思いを、そして「お母さん、ありがとう」って素直に思えるこの心を信じていけばそれでよかったのだと思います。 いつもどんなときも愛されて待ち続けてもらっている私に気付けることが幸せでした。私の中のやさしい思いだけを信じていきます。 焦らずに気負わずに、ただ淡々とあなたの道を歩いてきてください。心の中の私を信じて歩いてきてください。 13 私は、さまよい続けている意識でした。神を求め、真実を求めてさまよい続けていました。今世だけでもたくさんの場所、神社仏閣を訪れました。肉はただ遊びの気持ちで軽い気持ちでと、なかなか自分の他力の反省へとつなげることができませんでした。 でも「私からあなたへ一筆啓上」を見たとき、私は私の心は完全に外に向き、そしてずっとずっとさまよい続けていたと思いました。 私は待ち続けてもらっている存在でした。帰ってきなさいと待ち続けてもらっている幸せな存在でした。 そして私には来世があります。来世、アルバートと出会え、またこの学びをつないでいけることを私はこの心で知っています。それが嬉しいと思いました。田池留吉もアルバートも私の心の中にありました。ありがとうございました。未来へとつないでいけることが幸せです。 14 自分で何でもできると思ってきました。何とか頭を使い体を使っていったら、何とかできると思ってきました。何ともできない状況に身を置いたとき、はじめて自分の愚かさを知ることができました。私はすべて上からものを見て自分がやっている、私がという思いがとても強かったのです。この学びもそうでした。自分がやっていく、自分でできる、そのための方法を教えてくださいという思いで学んできました。そして自己供養を全く飛ばしてきた学び方でした。 田池留吉を見くびってきました。意識の世界を簡単に捉えてきました。自分の闇を甘く甘く捉えてきました。単に人を見下げているとか、己一番とか、そんな次元のものではなかったのです。 「我は神なり。全世界を牛耳っていく。私は田池留吉を殺すために生まれてきた。」 はっきりとはっきりと自分の口からその闇の思いを出させてもらったときに、初めて自分がどれだけの闇をこの心に抱えているかを確認させていただきました。現象ではすさまじいエネルギーを出している私ですが、まだまだ自分はあの人ほどではないと思ってきました。認めたくはなかったけれど、認めざるを得ないすごいエネルギーを持っています。認められなかったから、反省にもつないでいくことができないと思いました。田池留吉に向けなさいと言われたとき、私は「田池留吉に向けられないんです。田池留吉を思えないんです。私は田池留吉を殺すために、今こうして目の前に肉を持って生まれてきたのに、こんな私を許してくれるのですか」、そう語っていました。田池留吉、田池留吉の波動は、ただただやさしく包み込む思いでした。あなたはすでに「許されているのですよ」と言われました。心を閉ざしてきました。心を開けていくだけでよかったんです。 私は自分の闇が怖かった、自分の闇に押しつぶされそうだから、だから肉は心を向けることをしてきませんでした。だけど闇も自分なら、田池留吉も自分の中にある温もりでした。すべて自作自演の世界が意識の世界でした。私の心の中で闇は解放されるのを待っています。ひとつ出ればまた次と闇は尽きることなくこの心から出てきます。田池留吉を殺すために生まれてきた闇が、田池留吉に出会いたくて出会いたくて生まれてきてくれたことを心で感じさせてもらって嬉しいです。闇とともに田池留吉に心を向けていくことを学んでいきます。ありがとうございました。 私は己が偉かった。己一番、己一番、すべてのものを見下げてきました。お父さん、お母さん、ありがとう。私は一番愚か者でございました。私は愛されて愛されて許されている幸せな存在でした。今世こうやって田池留吉と出会えること幸せでございます。三億六千年の長き転生でございました。私はこれから心の修正をしてそして来世に必ずつないでいきます。ありがとうございました。 15 私は愛を求めてきました。心が満たされなかったのです。どんなに求めても求めても私の心は満たされませんでした。みんなみんな裏切る、最後は私の前から消えていく、もうそんなこと二度とごめんだと心を開くことができませんでした。寂しかった。寂しいけど寂しいって言えませんでした。そんなはずはない、私が寂しいはずがない、私は一生懸命その心を隠しました。一生懸命心を逸らすことだけをしてきました。絶対認めたくない思いでした。私は寂しくはない、私はその思いを認めることができませんでした。寂しい心を受け止めてあげることをしてきませんでした。寂しい心を押さえつけて、愛をそして力を求めてきました。愛は求めて得られるものだと思ってきました。愛が流れているのを遮っていたのは私でした。 16 この学びにつながり、自分を解放することをどれだけ望んできたことなのかよく分かります。そして田池留吉と出会えたことは決して偶然ではなかったような気がします。出会えるべくして出会えたように思います。田池留吉が伝えてくれたことが自分の心で確認でき、その波動とともに心で感じさせてもらえる時間が与えられていることが幸せです。 17 欲、欲、欲の心でした。今、目を閉じて私が私と対話できる時間があります。自分の心で語り合える時間があります。自分に思いを向けたとき、私は幸せだと少しでも思えるそんな時間があります。いっぱいいっぱい望んできました。目を閉じて田池留吉を思う時間があることが一番幸せなんだと思います。 何が幸せで、どうすれば幸せになるのか、どうなったら私のこの心は満足するのか、そう思って一生懸命やってみました。一時の充足感が得られました。しかしその後ですぐに襲ってくるのは空しさ、不安でした。心が満たされない、何で何でと心が定まりませんでした。心が荒み干からびていることを感じていました。だけど弱音なんか吐きたくなかった。グチグチブツブツの私なんて認めたくなかったのです。幸せで充実している時を過ごしているっていう証拠が私には必要でした。まったくばかげていました。どうしてそこまで飾らないといけないのか、決して同類だとは認めたくはありませんでした。 生まれて死んでいく時間の中で、見たくない許したくない自分を少しでも受け入れることができたなら、それで私の人生、丸でした。何も持たなくても、何も求めなくても心の底から自分をいとおしいと思えたならそれでよかったんだと思います。心が満たされない、心が寂しい、心を癒してほしい、みんなみんな過去からずっと生き続けてきた心の叫びでした。田池留吉に心を向けるとき、その心の叫びは一斉に飛び出してきます。押さえ隠し続けてきたけど、もうどうすることもできなくなりました。今世受け入れる以外には道は残されていません。 18 無条件でした。何もありませんでした。何もなかったのです。ただ許されていました。どんな思いもすべて受け入れられていました。包み込まれている感じでした。受け入れてもらっていることがこんなに嬉しくて、許されている私は理屈も何もなくただ幸せでした。心を私に委ねていきなさい、私はあなたですよ、あなたは私ですよと、田池留吉の波動の中で私は生かされている存在でした。自分が間違ってきたことを認められることが嬉しかった。私は間違ってきましたとそう自分に伝えてやれることが嬉しいと思いました。 私は認めて欲しかったのです。自分の中の闇の思いを認めて欲しかったのです。私を受け入れて欲しかったのです。私はあなた、あなたは私ですと言って欲しかったのです。嫌い切り捨てるのではなく、ただあなたに気付いて欲しかったのです。あなたも許されています、あなたも受け入れてもらっていますと言って欲しかったのです。 何度でも何度でも私に心を向けて、自分に素直になっていくんですよとただ待ってくれている田池留吉の思いに触れました。ただ待ち続けてくれている思いがこんなにも温かく私を包み込んでくれているのかと思います。時間が与えられています。自分で受け入れることができるやさしい思いに気付いてくださいと、その時間が私には与えられています。苦しいとき、悲しいとき、あなたの心の中に思いを向けていくんですよと、私は伝えられていました。いつもいつもあなたの心の中で支えている私の存在に気付いてくださいと私はこの心の中で教えてもらっているのでした。 19 母がパソコンを始めました。その操作方法を聞いてくる母に対して、私とのやりとりは全く私がこの学びに使っている心そのものでした。それを母は示してくれていました。電話でのやりとりは自分の心がストレートに出ます。「ここをクリックしたら、こうなるよ」「ならない」、順序を追って説明しようとしても、それより先に自分の言いたいこととか、知りたいことだけをさっさと要求して相手の言うことに素直に耳を貸さない母に、自分の姿が重なります。パソコンを使うに当たって、本の一ぺージも読まないで何とか使いこなそうとしている母のあつかましさというか、横柄な思いは、私がこの学びにおいて、先生に対して出している思いそのもののように思えてなりません。順序立てて教えてもらっていることに素直ではなかったようです。心を空にして聞いてこなかったように思います。 どこかに自分の思い込みやら希望やら欲の思いがあって、それらを優先する形で、先生の言われたことを解釈していたと思います。母を通して教えてもらいました。ありがとうございました。素直になることでした。 20 私の肉では分からないけれど、意識は知っています。心は意識はすでに未来でした。 その時の思いは温かいとか嬉しいとか、そんなものを飛び越えた感覚でした。言葉ではありませんでした。何の抵抗もなく、「私は意識です」と思えました。「あなたは苦しい存在ではありません。あなたは意識です。ありがとう、ありがとう、ありがとう。ああ、嬉しい、嬉しい、嬉しいです」とそう語っていました。自分のこの心をこの思いを信じてまたやっていきます。ありがとうございました。 00 「あなた方が出してきたエネルギーはすさまじいです。私に向けるあなた方の思いはとてもとても苦しいです。私は今あなた方のその流してきたエネルギーをこういう形で示しています。私を思うあなた方の思いが苦しいのです。」気付いてください。気付いてください。あなた方の過ちに気付いてくださいと、三宅島は切々と訴えていました。意識を向けさせてもらったときの思いは、苦しいけれど嬉しい、それが愛ですということを私たちに訴えているような感じがしました。 島は生きていました。島は訴えていました。島は伝えてくれていました。私はやはり他人事でした。島は島でした。意識を向けてみても、はっきりと分からないと勝手に思い込んでいました。周りはすべて教えてくれていたのでした。波動を感じていくということ、意識を向けていくということがいかに大切なことであり、またそうすることにより意識の世界をこの心で実感できるのだと思いました。崩れゆく形の世界に心をとらわれることなく、そこから感じられる温かい思いに心を向けて、田池留吉の波動の世界を信じていきたいと思いました。 おわりに 「ありがとう」復刻版を出させていただきまして本当にありがとうございます。初版当時も、自分の周りで起こった現象はみんな、意識の流れに自らをいざなうべきものだったことが自分の心で確認でき、意識の世界はすべてを心得ており、自分自身の本当の世界の緻密さを感じずにはいられないと、嬉しさを禁じ得ませんでした。 あれから十年の歳月が流れ、もちろんその間にも色々なことがありました。現象を形の世界からではなく、意識の世界からとらえていくことを、学ばせていただいた私は、この十年の歳月もまた自分の歩みを前に進めていくうえで、大事な時間だったことを感じています。 そして、「ありがとう」復刻版発刊の二〇一六年から十年の歳月の中で、さらに自分の歩みを前に進めていけるように、私は私の心をしっかりと見ていくだけだと決意を新たにしています。 田池留吉氏が伝えてくれたのは、真実の波動の世界です。形の世界は、やがてその根底から崩れ去っていきます。それは「真実に目覚めなさい」というメッセージであって、まさにこれこそが愛のエネルギーに他ならないのですが、形の世界を本物だとする限り、その様相は大変厳しいものとしてしか受け取れないでしょう。 しかし、そこに流れているものは、間違いなく限りない喜びと温もりの波動です。私達は、誰もがみんな自分の真実に目覚めていかなければなりません。私達の本質はアルバート、そして愛であるということに、みんな目覚めていかなければなりません。どうぞ、「真実に目覚めなさい」というメッセージを、そしてその波動を正しく受け取っていけるように、日々精進してまいりましょう。 最後になりましたが、私達は愛の中にひとつです。私達の中に愛のエネルギー、すなわちアルバートが脈々と息づいています。それぞれお母さんに産んでいただいたからこそ、自分の中に脈々と息づいている愛のエネルギーに触れていけることを知ってください。私達にあるのは喜びだけです。「今を喜びで生きていこう」の呼び掛けが、それぞれの中からはっきりと聞こえてくる日はそう遠くはないでしょう。根底から崩れ去る形の世界から、しっかりと喜びと温もりの波動、エネルギーを受け取っていける私達に蘇ってまいりましょう。